Blufflog

This blog is bluff.

職業としての学問(マックス・ヴェーバー)

以前読んだことある気がするので実は再読かも知れません。

要約

  • 学問、科学の進展による主知主義的な合理化は神(宗教)を殺し、人々が拠り所とする統一的な価値判断基準(価値観)、信仰が失われた
  • 学問それ自体は(かつての)宗教のように信奉すべき統一的な価値観を与えてはくれない
  • それぞれの学問は、それぞれの前提となる価値観(比喩的に「神」と言える)を持つ
  • 学問を教える教師は、政治的信条などの価値観を学生に押し付ける指導者や扇動者ではない(であってはならない)
  • 指導者として価値観を説くなら街頭などでやれ。そこでは批判を受けられるから
  • 教室という空間で教師が価値観を押し付けると学生は批判できない(するのが難しい)ので駄目
  • (老ミルは言いました。)現代は多神教!(多種多様な価値観が相互に複雑に絡み合って存在し、統一的な見解が存在しない状態の比喩)
  • 学問にできることとその限界
    1. 実生活に役立つ技術的な知識を与えること
    2. ものごとの考え方、(論理的)思考法を与えること
    3. 明確さと責任感を与えること。ある価値観の立場を取ることが何を意味するのかについて明確な説明を与え、その価値観を遂行するために必要な手段を与える。また、その価値観を遂行することにより他の価値観をどのように毀損するかも明確にし、その価値観の立場を取ることの責任感も与える
  • 学問はどのような価値観を信奉すれば良いかについて答えを与えない。多様な価値観が複雑に絡み合いながら渦巻く中で、自らそれらの価値判断に向き合わなければならない
  • それが耐えられないなら、明確な価値判断基準、価値観を与えてくれる温かい教会に帰るべき
  • 結論:浮かれずに目の前の仕事を真面目にこなせ!

余談

本書の内容とは乖離しますが、強引に個人的な関心事に引き付けて考えてみます。

自分自身は学問的、科学的、主知主義的な合理的思考から逃れられないのと同時に、科学が明らかにする「現実」のつまらなさに絶望しています。幽霊やネッシーが実在して、超能力でスプーンは曲げられ、地球は平らで、そしてなにより神が存在するような世界であったらどんなに良いかと思わずにいられないのです。つまるところ、神を信じたいが信じられないのです(だって神を筆頭にこれらを信じるに足る合理的、科学的根拠が全然ないので。当たり前ですが 1)。

神がいなくても精神的になんら困らない、または、科学を放棄して無心で神を信じられる、のどちらにもなれないということです。

といった悩みに対して本書は回答を与えてはくれませんが、自分のこのような思考をある側面から分析する一助にはなった気がします。

P.S.

人々の心が大戦後の動揺と既存の秩序にたいする疑惑に満ちていたその当時、感受性に富む青年たちの心がこうした時代の風潮の支配下にあったことは想像にかたくない。

ウェーバーがこの講演のなかで当面しているものによく似た事態が現代の日本にもみいだされるということ、したがってこの書物がすくなくも一部の人々にはなんらかの反省の機会をつくるであろうということ、このことはここに確言しうると思うのである。

(一九三六年五月、訳者記)

時期がちょっと怖い 😨


  1. というか、信仰に合理的根拠を求める発想自体が邪道で、疑問を持たず無心で信仰すること自体が宗教的態度そのものなのかも知れません。そしてそれは自分には到底無理という話です。

Inside Out (Ben Earl)

今回は Ben Earl の『Inside Out』について。予約購入してしばらく放置してましたが、最近読んだので感想を書いてみます。

結論はおすすめです。

どのトリックもレギュラーデック一組など簡単な道具だけで演じられ、特殊な道具や準備は不要です。クロースアップからステージまでどこでも演じられそうなトリックが多いのも良かったです。

空港でベンおじさんがサイコパス相手にサンドイッチトリックを演じてみせるなど、Earl 本人が実際にマジックを演じる場面を描写するようなスタイルで各トリックを解説しています。マジックを演じるシチュエーション描写はマジシャンあるある的なところもあり面白いです。

Let's Play Triumph

スタンダードなトライアンフにちょっとしたアレンジと新しい演出を加えた作品。『パスト・ミッドナイト 第 1 巻』の Open Triumph も参照すると実際のタッチなど参考になります。別作品ですが部分的にはよく似ているので。

Probably Impossible

起こりそうにないこと(improbability)と不可能(impossible)の違いがテーマのサンドイッチトリック。第 1 段で起こりそうにない現象を起こし第 2 段で不可能な現象を起こすことで、第 2 段の不思議さを強調します。

そもそもマジックは確率的に起こりそうもないことを起こす現象と物理的に絶対不可能なことを起こす現象に分類できます。もっともどちらにせよ本当にそのような現象が起きているわけではなく、起きたと観客に錯覚させているだけですが。

追加の演出案として、「マジックの現象のようにマクロ世界で物理的に不可能とされている現象が、トンネル効果のようにミクロ世界では可能だったりします。また、マクロ世界の不可能現象も絶対に起こり得ないのではなく、単に起こる確率が天文学的に低いだけかも知れず、絶対に不可能な現象など存在しないのかも知れません…」といった怪しげな台詞も考えましたがたぶん蛇足でしょう…。

Lucky Deal

観客自身が自分のカードを当て、追加のエンディングも付く現象。しかし個人的にはやや成立しないように思える部分があり、ある箇所で演者によるフォールスシャッフル入れるのが現実的かと思います。これを入れると、最初から最後まで演者がデックに触れないというこのトリックの美点を損なってしまいますが…。

The Vanishing

物体の消失現象を 3 段階に分けて起こす作品で、1 つの演出アイデアとしては面白いです。しかし、消失の第 2 段まではともかく第 3 段は屁理屈っぽく、このような演出でこのマジックを見たら鼻につくような気もします。少なくともこのような演出で演じる場合は、演者自身のキャラクターに合っているかを事前によく確認するのが良さそうです。

The Unreal Transposition

物理的な手法と現象自体はよくある単純なものですが、その物理的な構造の表面を肉付けする演出が独特でとても面白いです。交換現象であり、カード当てであり、変化現象でもあるという面白い作品です。非常におすすめ!

Hidden Ambition

2 段から成るシンプルなアンビシャスカード。個人的には第 1 段で使う某技法における個人的な(?)悪癖のせいで演じるのは難しそうです。ここが問題ない人は普通に演じられるでしょう。Ramón Riobóo の『Thinking the Impossible』にある某作品の演出を使っています。物理的な手法はともかく、この演出法を他のアンビシャスカードの手順にも流用することはできそうです。

Portal

カードの変化現象。(催眠的な)暗示(suggestion)を取り入れており、同じく Earl の『スキン』を思い出しました。催眠暗示に慣れていれば催眠現象としてうまく演じられるでしょう。一方、そうでない場合もあくまで暗示(催眠)風の演出になるだけで最終的にはカードの変化というメインの現象は起こせます。よって、マジック全体としては失敗しない構成になっており、安心して演じられそうです。

英語ではあるものの、Earl による催眠暗示の具体的な台詞を読めるのも良かったです。

Mr Invisible

レギュラーデックだけを使って即席で演じられるインビジブルデック現象です。普通に良いトリックだと思いますが、似た構造で次に紹介する Why Me? の方が良くできていると思います。これはあくまでレギュラーデックでインビジブルデック、という縛りで作られた感がどうしてもあります。

Why Me?

1 つ前の Mr Invisible と似た構造で演出が異なる作品です。逆転の発想的現象で、技術的に弱い箇所を演出がカバーする好例です。現象もカードマジックではあまり見られないもので、どちらかと言うとメンタリズム的な雰囲気もあります。良い意味でカードマジック感が薄い良作でおすすめ!

Restoring The Past

トーンアンドレストア。これが成立するとマジシャン的には都合が良いというか楽ですが、成立するかやや危うい気もします。

なお、トーンアンドレストの傑作としてはガイ・ホリングワースのリフォーメーションが挙げられます。このような正統派以外のトーンアンドレストアとしては、Dani DaOrtiz の『Utopia』にある作品群が非常に良いです。

A Universal Presentation

特定のトリックに依存せずあらゆるトリックやルーティンに適用できるプレゼンテーション、というか台詞です。ここに載っている台詞自体の良し悪しについてはなんとも言えません。それを見極めるには実際にノンマジシャンの観客に試して反応を見る必要があるでしょう。しかし、あらゆるトリックやルーティンに適用できるようなプレゼンテーション、台詞を用意しておくという考え方自体は有用だと思います。例えば、まだ適切な演出を見付けられていないトリックに暫定的に Universal Presentation の台詞を適用するなど、実践的に役立ちそうです。

The Gift

マジックの現象はどこで完結するのか、みたいな話としては面白いです。しかし、自由意志と決定論、そしてシュレーディンガーの猫が混ざったような謎の話をベンおじさんから聞かされた挙げ句、謎の誕生日プレゼントを渡された 10 歳の子供がかわいそう。

The Secret

1 つ前の The Gift と似た話です。時と場合によりますが、マジックを見た記念に何かをプレゼントするというのはありだと思っており、それにはどのようなものが良いかということを考える上でこの章は参考になります。

Conjuring With Wonder

観客が見たいものを演じてみせるというのはマジックの 1 つの理想形でしょう。この章にはそれを実現するためのアイデアが書かれています。また、本書に収録されているトリックはいずれも物理的な手法と現象としては単純な構造を持っており、演出次第ではどのような現象にでも仕立て上げられるような柔軟性を持っています。このようなトリックの性質は本章「Conjuring With Wonder」の考え方を適用させるのに適しています。

New Theory Cross-Cut Force

なぜクロスカットフォースがマニアから低く見られているかの考察と、クロスカットフォースのバリエーションの解説。これまでの Earl 作品を追ってきた人からすると目新しさは少ないかも知れませんが、よくまとまっており内容も良いです。個人的にもクロスカットフォースは大好きです。

New Theory French Drop

コインマジック等で使われるフレンチドロップを効果的に見せるための tips。New Theory と謳っていますが、どのくらい新規性があるのかはコインマジックに疎い自分には判断できません。良いコインバニッシュについての話もあり、この辺りは個人的にも大いに同意する話でした。最も良いコインバニッシュとはコイン自体が消えたように見せるのではなく…。

総評

ざっくりマジックの構成要素を二分すると、骨格に当たる物理的な手法&現象の部分と、肉に当たる演出部分とがあります。そして、同じ骨格(物理的現象)に対して異なる肉付け(演出)をすることで、全く違ったトリック(効果)になります。このような考え方は Earl の『Less Is More』 の Stem Cell 辺りで既に導入されていました。それ以降の Earl 作品では、骨格は極力単純化し肉付け部分を工夫する方向になっているように思います。『The Shift』辺りではまだ骨格部分にも多少の独自性が見られた気もします。一方の本作『Inside Out』では、骨格の単純化、肉付け重視の方向性がより強化されており、最近の Earl 作品の傾向がより強く出ています。バランスが良いか、また、賛同できるかはともかくとして最近の Earl 作品の傾向を知るにはうってつけの本でしょう。少なくとも 1 つくらいは気に入る作品、あるいは演出や考え方を得られると思うのでおすすめです。

ファイルを暗号化する CLI ツール Encrypter を作りました

たまにファイルやディレクトリ(フォルダー)を暗号化したいことがあり、CLI でやるなら一般に OpenSSLGPG を使うことになるように思います。しかしこいつらが微妙に使いにくかったり痒い所に手が届かなかったりするような気がします。
そこで Encrypter という CLI ツールを作りました。と言っても、要は GPG のラッパーで単なるシェルスクリプトです。
Encrypter は UNIX 系シェルで動くコマンドです。もちろん macOS や WSL でも使えます。ご自由にご利用ください。↓

脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦(渡辺 正峰)

渡辺 正峰著『脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦』1 を読んだので、今回はその感想を書いてみる。
意識のアップロード!(意識の機械への移植)というサイバーパンク的な内容に釣られて読んだが、意識研究を中心とした脳科学の歩みについて概観できてシンプルに勉強になった。

自然現象など客観的に観察できる事象を主な研究対象とする科学において、意識という主観的でとらえどころのないものに対してどのような科学的アプローチで研究をするのか検討もつかなかったが、両眼視野闘争や錯視的なあれこれを利用して意識に迫っていくのが面白かった。

ヒーリング・グリッド錯視のように、脳が意識に見せる仮想現実(クオリア)において脳内補正が空間方向に効くことは知っていた。しかし、触覚ラビット錯覚(Cutaneous Rabbit Illusion: CRI)のように、脳内補正が時間方向にも効いていることは初耳で興味深かった。

本書を読む限りの感想として、リベットの実験その他から推測するに、やはり自由意志は存在しなさそう。少なくとも、我々の意志があるとしてもそれはかなり限定的なもので、真に自由な意志が存在することを主張するのは難しそうに思えた。
自由意志の不確かさに関連して、選択盲の話は興味深い。自分はどうしてもマジックにおける「フリーチョイス」に引き付けて考えてしまった。

後半、統合情報理論を支える情報量(シャノンの情報理論的な話)の理論や、意識の正体として著者が推している「生成モデル」に関してニューラルネットワークディープラーニングなどの話がほぼいきなり登場する。情報系のバックグラウンドを持つ自分にとってはある程度馴染みある話だが、馴染みの薄い読者はやや困惑する部分かも知れない。

なお、脳と意識についてのライトな文献としては『Newtonライト 脳といしき』が良いかも知れない。ニューロン間の情報伝達の原理・両眼視野闘争・リベットの実験など、主要なトピックについて広く浅くカバーしている。1, 2時間程度で読めると思う。

P.S.

  • 勿論、自分は脳科学関連について素人だし、本書はチェックの厳しい教科書などでなくあくまで新書だ。よって、ここに書いてある内容の信憑性については盲信せず注意しておきたい
  • 「意識の機械への移植」と「不死」は密接な関係があるため、本記事を Death カテゴリーに入れている

  1. 渡辺正峰.脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦.中央公論新社,2017,336p.,ISBN978-4-12-102460-2,https://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/11/102460.html

マインド・ミステリーズ(リチャード・オスタリンド)

実は見てなかったシリーズということで、今回はリチャード・オスタリンド(Richard Osterlind)の『マインド・ミステリーズ』(Mind Mysteries)シリーズ 1 について。以前から部分的には見ていたものの実は通しで全巻を見たことが無く、今回、と言っても結構前だが全部見たので印象に残っているトリックについて書いてみようと思う。

メンタリストにとってはメンタリズムの基本的な現象とテクニックを勉強できるし、メンタリストに限らずマジシャン全般にとってもパーラーのトリックを学ぶ上で得るところが大きいシリーズだと思う。メンタリズムをやりたい、詳しく知りたい人は全巻見ると良さそうで、そこまで興味無くても 1 巻だけでも見ておくのがお勧め。1 巻は単にパーラーショーとしてのクオリティが高いため、メンタリストに限らず全マジシャンにお勧めできる。

第 1 巻

特にこの巻のトリックは他の巻と比べてオスタリンドが演じ慣れていると言うか、パフォーマンスの練度が抜けている印象がある。そしてトリック自体も全部良い。素晴らしいパフォーマンスを鑑賞する意味でも全マジシャン・メンタリストにお勧め。

バンク・ナイト

長年の経験から客受けが保証され、どんな客層にも受け入れられるオリジナル・マジック。どんなショーにでもオープナーとして最適。

分かりやすい現象、綺麗で楽しいエンディング、シンプルな方法論、言うことなし。

センターテア

マジシャンの間で話題になった究極のセンターテア。その詳細をすべて解説します。スローでも周囲を囲まれていても演技可能。破った紙をすべて観客に手渡せます!

個人的には Ran Pink の T-REX の方が好み。

レーダー・デック

4人の観客にデックをざっと見てもらい、好きなカードを覚えてもらいます。その状態からすべてのカードを当ててしまいます!質問を一切しないで特定しているように見える巧妙な秘密をついに公開!

オスタリンドのトス・アウト・デック的なトリック。最終的に決めたカードだけでなく迷ったカードも当てられるのが良い。なお、スクリプト・マヌーヴァが翻訳しているレクチャービデオの中でもルーク・ジャーメイマックス・メイヴェンのトス・アウト・デックもあるのでこちらも見てみると良いと思う。

ウォッチ・ルーティン

1人の観客に好きな時刻を思い浮かべてもらい、もう1人の観客に腕時計の針を裏向きで適当にまわしてもらいます。まずマジシャンはその時刻を当て、それから時計を見ると、見事にその時刻になっています!即興で、借りた腕時計でも演技可能!

センターテアとは異なり紙を破らないビレットピークを学べる。

マガジン・テスト

ショーのクライマックスで演じられるマジック。観客に雑誌のページを自由に選んでもらい、後ろ手で適当にマルを書いてもらいます。その言葉を予言してしまいます!

非常にウケそうな展開。

第 2 巻

ブレイクスルー・カード・システムを使った手順が解説されている。以前はブレイクスルーのようなシステムは、より機能豊富なメモライズドデックの下位互換だと思っていた。しかしあるときから、システムの方が単機能で扱いやすい可能性も十分あると考えるようになった。システムは単機能だがメモライズドが持つ主要機能の 1 つに相当し、実際にはシステムだけで多くの強力な現象を実現できる。習得や取り扱いにかかるコストに対して得られる効果の効率ではシステムはメモライズドを上回る気がする。不適切な表現であることを承知で言えば「コスパ」が良い。観客の体験を最大化することが究極の目的だとすると、システムを使うのはマジシャンが楽をするための安直な方法に思えるかも知れない。しかし、メモライズドでなくシステムを選択することで浮いたリソースを別の箇所に割り当てることでトータルでマジックのパフォーマンスを向上させ、結局は観客の体験を最大化できるかも知れない。要はケースバイケースだろう。

チャレンジ・マインド・リーディング

観客が思い浮かべただけのカードを、マジシャンがデックに触ることなく当てます。不可能としか思えないカードトリック!

非常に知性の高いノンマジシャンの観客がマジシャンの一挙手一投足を凝視していたとしても見破れないであろうカード当て。状況によってはこのような不可能性の高い、観客からのチャレンジに応えるようなトリックが役立つケースもあるだろう。また、ベンジャミン・アールの『パスト・ミッドナイト 第 3 巻』 にもかなり似たトリックがあり、クレジットされていたかは記憶が定かではないが多分にオスタリンドの影響は受けているのではないかと思う。

第 3 巻

チェンジ・オブ・マインド

観客が自分自身のポケットから何のコインを出すかを、マジシャンが予言する奇抜な手順。独創的なギミックの作り方も詳細に解説します。またクロースアップとステージの両方で演じるための方法も解説。

ここで使われる有名な某原理を強化するサトルティが良い。自分はやらないと思うけどギミックも面白いので一見の価値あり。

ビル・イン・シガレット

観客がサインしたお札が借りたタバコの中から出てくるクラシックマジック。観客の驚きが大きいにも関わらず、シンプルで簡単にできる手順です。

似た現象だとダレン・ブラウンの Smoke も有名。

第 4 巻

グラス・オブ・ウォーター・プロダクション

水の入ったグラスを出現させる、クラシックマジックのオスタリンド・バージョン。完全にあらためたカラの紙袋の中から、両手を観客に押さえられた状態で水の入ったグラスを出現させます。ギミックを一切使わず手順構成の巧みさで実現した、多くのプロマジシャンも使う不可能現象!

グラスプロダクションはやっぱ良い。レナート・グリーンがよくやるやつも出すまでが速くて好き。

インプ・パッド・ルーティン

いかにしてショーの前に観客から特定の情報を引き出すか。“事前に情報を書いてもらった”ことを本番で明かすことで、逆に不可能性を強調することに成功した逆転の発想とそのノウハウを詳細に解説!

インプレッション・デバイスの使い方、特にプリショーでの使い方について、使う際の注意点や正当化などについて勉強になる。インプレッション・デバイスのすごく基本的な取り扱いについては Psypher PRO のレクチャービデオが意外と悪くないかも。本番での当て方についてはジャーメイの『スカルダガリ』もお勧め。

マークド・コイン・イン・ボトル

コインをビンの中に入れてしまうクラシック・マジックを、借りたコインにサインをさせて行ってしまいます。入った状態で、中のサインもしっかり確認してもらえます。

借りたコイン使用、スイッチなし、デュプリケートなし、サインありで本当にコインがビンに入る!こういう原理すごく好き。

スードゥ・サイコメトリー・バッグ

マジシャンから見えないように、5人の観客がそれぞれの持ち物を黒い袋に入れます。マジシャンはその道具を手にとって、その道具の由来や持ち主を次々と当てていきます。

サイコメトリーはリーディングに繋げやすいこともあって好き。サイコメトリーとリーディングと言えばジャーメイが『Tarot Psychometry』というのを出してる。これをサイコメトリーと呼んで良いかは微妙だけど。サイコメトリーでは最後に残った物の持ち主を当てても不思議ではないという問題があるが、本トリックではこの問題に対して工夫がある。これはメイヴェンの『Prism』に収録されているあるトリックを元にしたアイデアだ。サイコメトリーの最後の 1 人問題については同じくメイヴェンの『ナッシング』に収録されているサイコメティア(Psychometier)で異なる工夫が使われているのでこちらも見ておくと良いだろう。

第 5 巻

スプーン・ベンド

まったく新しい、仕掛けのないスプーンの曲げ方。先を持っているだけなのに、みるみる曲がっていきます。スプーン曲げを次のステップへと進めた新メソッド!

スプーンベンディングで一番ウケそうな部分を短時間に凝縮したようなトリック。ここで使われる曲げ方の一部に Mr.マリック氏の手法も関わっているらしい。

ベリー・モダン・マインドリーダー

紙片と封筒を使って行う読心術。この演技だけでも絶大な反応を観客から引き出すことができます。

トリックと組み合わせたリーディングとしてすごく良い。シンプルな原理なので道具の準備・演技の双方で演者負担が低い。CR の練習にも良さそう。

デジタル・フィードバック

計算機を使用したマジックの最高峰!演技の中で観客に驚いてもらうポイントが多くあり、最後にはずっと記憶に残る現象となるマジック!

いかにも数理トリックといった感じだがこれはウケそう。原理も面白い。

インサイド・ザ・フォールド

リチャード・オスタリンドが最も大切にしていた秘密の一つ。観客に数字を1つ言ってもらいます。演者が初めから持っていた四つ折りの紙を観客に渡して開いてもらうと、まさにその数字が書かれています。恐ろしくシンプルで不思議さが際だつ傑作!

実際にやるかは別にしてもこのハンドリングは知っておいた方が良さそう。ノンマジシャンから見た印象がどれほどかは分からないが、この手の現象のよくあるやり方よりは多少なりとも不可能性が上がっているはず。

ストッピング・ウォッチ

観客の腕時計を止め、時刻を変える実践的なメソッドを完全解説。様々なタイプの腕時計の違った挙動に対処する方法も解説!

面白い現象だけど Apple Watch などのスマート・ウォッチではできないし、最近はやややりにくいかも知れない。

ホテル・キー・クラッシュ

ホテルのカードキーに念を送りデータを消去してしまうマジック。これをいかに観客の印象に残る強烈な現象にするか、その演出の秘密も公開!

迷惑で笑う。

第 6 巻

マルチプル・キー・ベンディング

観客から借りた複数のカギを曲げてしまう手順!カギを観客に握ってもらいますが、手の中で曲がっていくのを感じてもらうことができます。ステージで行うのに最適なキー・ベンディング!

キーベンディングのやり方を知らなかったので勉強になった。とは言え曲げて良い鍵を借りられるケースは少なそうで、なかなかやる機会無さそうなのが残念。

アメイジング・メモリー・デモンストレーション

このDVDの中で最も学ぶ価値のある手順かも知れません。マジックの演技としても一級のものですが、それ以上に人生を変える方法を学ぶことができます。

ダイレクトな記憶術デモンストレーション。さすがにストレート過ぎる現象にも思えるが、ギャンブリングデモンストレーションなどと同様で驚異的な記憶力はそれ自体がエンターテイメントになるということだろう。記憶するものの名前などを言ってもらうフェーズが長く、記憶術そのものより過程を飽きさせないように演技する方が難しそう。なお、メイヴェンは『ナッシング』でメンタリズムにおける過程の重要性を語っている(メンタリズムに限らずマジック全般に当てはまると思う)。

ステノ ESP

ステノ・パッドだけで行える、メンタル・エピック系の現象!簡単で演じて楽しいだけでなく、オスタリンドがどのように発想を逆転させるかを学ぶこともできます。

特別な道具が不要で手軽に演じられる良作。上記説明文にある「逆転」のアイデアが面白い。

オリジナル・インサイド・アウト

初公開のマジック。折りたたまれたカードを振るだけで、一瞬で表と裏が入れ替わる!クリップでカードを留めても演じることができ、最後は手渡しも可能!

すごくビジュアル。SNS 時代の現代では CG のようにビジュアルなマジックの動画をよく目にするが、そういったもの全般に比べて準備がだいぶ楽じゃないかと思う。複数の原理を組み合わせており仕掛けに到達しにくい点も賢い。

第 7 巻

トリビュート・トゥ・ターベル

観客に自由なカードを1枚覚えてもらいます。マジシャンがファンにしたデックの上に、別の観客の指を当ててもらうと…それがなんと覚えてもらったカード!

『Kayfabe』でメイヴェンが似たようなのをやっていたが、こちらのオスタリンドのトリックの方が簡単にできそう。

サイコロジカル・インポッシビリティ

自由に覚えてもらったカードが広げたデックから消え、事前にあらためたマジシャンのポケットから出てくる…。スタンダードな現象に工夫を加えた、シンプルかつ強烈なカード当て。

マニア好みではない気もするが実践的には簡単でウケると思う。忘れがちだが「ノンマジシャンにウケること」は超重要だし、そもそもこれは奥が深く高度な話だ。常に意識して軽視しないように心掛けたい。似たようなトリックが『パスト・ミッドナイト 第 3 巻』にもある。

ESP スタック

ESPを独自の法則でスタックにすることで、超能力研究で行われる透視テストを完全に再現。

解説にもある通りちょっと惜しいスタック。ただ現象によっては重宝しそうなので知識として持っておきたい。

オスタリンド・デザイン・デュプリケーション・システム

ESPスタックで行った透視テストを、観客が描いた複雑な絵で行う手順。マジシャンの見えない場所で描いてもらったものと同じ絵を、見事にスケッチブックに描き上げてしまいます。

もちろん仕掛けはあるわけだが、絵のディテールを似せる際の考え方は CR 的な要素があって楽しい。

ダッズ・フェバレット

観客がカットして4つに分けたパケットのトップが、全てエース!オスタリンドが子供の頃、父親から教わったマジックですが今見てもまったく古びない不思議さです。

これ他で見たことない 2 原理だったので面白かった。どちらかと言うとマジシャンに見せたいかも。自分はピット・ハートリングの Chaos を思い出した。

ホーンテッド・キー

カギが独りでに動く古典の現象。しかしオスタリンドの方法なら、マジシャンはまったく動くことなくカギが動き出します!

このトリックに限らずここで採用されているようなマインドセットで現象を起こすべきだと強く思う。もちろんオカルト的な意味ではなく。そしてホーンテッドキーに使えそうな鍵を探していてこれを買ったけど質感等々良かったのでお勧め。

ソリッド・ゴースト

折りたたんだハンカチの中にいる「おばけ」が動き出す…。「おばけ」は消える直前まで観客自身に触って確認してもらうことができます。よくある道具ですが、オスタリンドはこれをショーのクライマックスとして行います。どのようにしてあの道具を一級のマジックに仕立て上げるのか!?

そういう素材を使うのかという驚きがあった。軽視するマジシャンは多いかも知れないけどこのトリックはウケそう。

P.S.

『マインド・ミステリーズ』シリーズで必要な道具の多くはオスタリンドのショップで買えます。

回路 小説版(黒沢 清)

……もしも……死んでもひとりだったらどうする?

今回は黒沢清の『回路』1 について。映画 2 でなく小説版について書くが、本質的にはほとんど共通する。映画の『回路』については別の機会に書こうと思う。

回路の世界では、人は死後、魂(意識)だけの存在となり永遠の時間の中を他者と触れ合うこともできず完全に孤独に過ごすことになる。死者の永遠の孤独。これがいかに恐ろしいものかは語るまでもないだろう。あるとき、ふとしたきっかけからこれら死後の世界と現世が接続する(「回路」が開く)。もう一度「生きる」ために死後の霊魂は現世で生きる人の前に姿を表す。生者から見て、これはまさに幽霊の目撃に他ならない。現世の生者の前に姿を表した幽霊はその人にある啓示を与える。それは彼ら死者が経験した通り、死後に人は永遠の孤独に閉じ込められるという事実だ。人は必ず死ぬ。そしてその死後には永遠の孤独が待っている。これを絶望と呼ばずに何と呼ぶか。幽霊を目撃しこの事実を知ってしまった人は絶望し、次の 2 つの選択肢から 1 つを選ぶことになる。

  1. 消えて無くなり「無」となる
  2. 自殺し、幽霊になり永遠の孤独に閉じ込められる。その後、回路を通って「生き返る」機会を待つ

消えて無くなり「無」となる

の場合、意識・自我の喪失の恐怖がある。死んで無になってしまうと楽しい思いをしたり物事を考えたりできなくなる。そもそもそういうことができないということを認識することすらできなくなってしまう。無になってしまえば意識が無いという恐怖を感じる主体も消滅するから何も怖くないのでは?という考え方もあるだろうが、無が怖い人にとっては主体の消滅自体が怖いのである。共感できるかは別としてどうしても詳しく理解してみたい場合は「タナトフォビア」・「死恐怖症」・「death anxiety」などで調べてみると良いだろう。生の声は 5 ちゃんねるTwitter などで知ることができる。タナトフォビアについては別の記事でも書いてみようと思う。

一方、

自殺し、幽霊になり永遠の孤独に閉じ込められる。その後、回路を通って「生き返る」機会を待つ

の場合、先述の通り孤独が永遠に続く恐ろしさは説明するまでもないだろう。

つまり、無になるにしろ永遠の孤独に閉じ込められるにしろ、どちらにせよ人の死は絶望に直結している。

ここで書いたのは回路という一小説のエッセンスだが、恐ろしいことにこの恐怖は我々が現実に運命付けられている呪いと本質的には同じと言える。回路の世界だけでなく現実世界でも人は必ず死ぬ(少なくとも現代の科学力では)。原理上、生きている人は死後に何が起こるかを知り得ない。生きている人が死後の世界を主体的に体験できるなら、生死の定義上、その個体はまだ生きているはずだからだ(死後の世界を知り得ないとき、ある人の死後について確実に言えるのはその人はもう生きていないということである)。しかし、死後は知り得ないがその可能性を想像することはできる。宗教的な世界観も包含し、死後の可能性は本質的には次の 2 つの可能性に絞られる。

  1. 無(多くの無神論者はこう考えているだろう。自分もその一人だ)
  2. 意識が永遠に続く(様々な宗教でこのような世界観が見られる)

意識の発生について自分は詳しくないが、現代的(と言うか唯物論的?)に考えると、肉体(恐らく脳)が意識を生んでいると考えるのが自然だろう。この場合、肉体の死後は無が待っていると考えるのが自然だ。一方、宗教的な世界観では天国にしろ地獄にしろ、精神世界的な空間(?)で意識(魂)が何らかの形態で永遠に存続するという立場もよくある。唯物論的にはにわかには信じがたいが、今回はこれを否定することは目的ではないしその必要も無いのでこのような可能性も否定しないでおこう。上記 1, 2 以外の可能性も考えられるかも知れないが、基本的には 1, 2 どちらか、あるいはその複合のバリエーションに過ぎず、本質的には死後の世界は 1, 2 どちらかに収斂すると考えて良いだろう。ここから言えるのは、我々の死後には無か永遠が待っているということである。

そして気付いただろうか。回路で幽霊を目撃してしまった不幸な人の選択肢 1, 2 と、現実世界の我々が運命付けられている死後の可能性 1, 2 は本質的に一致している。つまり、回路的な死後の無か永遠という恐怖、呪いに我々は現実に運命付けられている。

もちろん、死後に天国に行き幸せな状態が永遠に続く可能性が絶対に無いことを示す確実な根拠は無い(悪魔の証明)。しかし科学的に天国を肯定する根拠ももちろん無いし、このような死後を期待するのはさすがに楽天的過ぎるように思える。ちなみにこの天国的な死後への希望こそが宗教の人気の大きな要因の 1 つだと思うが、本記事ではこれ以上立ち入らないでおこう。とにかく、天国がある根拠は非常に弱いし、仮に天国があっても「自分」の死後に天国に行く確率も非常に低いだろう。さらに悪いことに、天国で永遠に過ごすことが本当に幸福なことなのか分からないし、そもそもそのような永遠の幸福状態などというものが原理上あり得るのかも不確かだ。死後の永遠というものが天国にせよ地獄にせよ回路的な虚無で孤独な世界にせよ、永遠という状態そのものにある種のおぞましさや恐ろしさを認めることはできそうだ。

ホラー作品などで幽霊に遭遇することは怖いこととして描かれるし、現実の我々も幽霊を怖がる。しかし考えてみるとこれは不思議だ。幽霊が存在するなら我々の魂は死後も存続することになるので、死後の恐怖が和らぎそうなものである。つまり幽霊との遭遇は死の恐怖から開放してくれるものと考えても良さそうなものである。回路における幽霊との遭遇とは、このような死後の無や永遠という死についての恐ろしい真実を知ることを意味する。幽霊の目撃とは、死(が持つ恐ろしい真実)の目撃なのだ。幽霊とは何か?なぜ幽霊が怖いのか?という問いに対し、幽霊自体や幽霊との遭遇をここで述べたような意味に象徴させた点が回路という作品の秀逸さだ。

人は死後、無か永遠に至るよう運命付けられているという恐ろしい死の呪いを論じたところで、別の可能性に目を向けてみよう。それは「不死」だ。古来から人は不死を求めてきた。意識的にせよ無意識的にせよ、上記で論じたような死の恐ろしさから逃れるには永遠に生き続けるしかないと考えたに違いない。不死についての技術的実現可能性を論じるのは本記事の目的ではないので、思考実験として不死が実現可能と仮定しよう。

ところで、不死であれば必ず死ぬ人生よりも幸せなのだろうか?よく考えると不死というのは永遠に生きるということである。永遠に生きるのは死後に永遠に意識が存続するのと何が違うのだろうか?そもそも永遠に死なないならそれは生きていると言えるのだろうか?死んでいる、あるいは生まれていない状態と何が違うのだろうか?

唯一の希望は、愛や友情など他者との触れ合いかも知れない。死んでしまっては他者を愛し心を通わせられないかも知れないが生きていればそれができる。なるほどこれは生きることに対する明るい考えに見える。実際、映画『イット・フォローズ』(2014)3 などはこのような思想と近い部分があり、死(It)から完全に逃れることができなくても性愛が部分的にはその癒しとなるような描き方をしているし、少なくともそのように解釈することは十分に可能だろう。そして永遠に生きるならば死(幽霊や It)を完全に退け、他者と心を通わせ幸せに生き続けることができるかも知れない。実際、回路の終盤で老医師は次のように語る。

「私たちが研究していたのは不老不死、つまり永遠に生き続ける生命についてなんだ」

「うん。不死の生命を獲得すること、永遠の命を生きてみせること、私はそれしか奴らの鼻をあかす手段はないと思っている」

しかし本当にそうだろうか。上記に続いて老医師は次のように語っている。

老人はふっと憂鬱そうな表情を見せた。「私がひとつだけ心配していることがある。もし永遠の生命を持ったとして、それで人は本当に幸せなのだろうか、ということさ」

生きる我々は本当の意味で互いに心を通わせることなどできるのだろうか?生きていても結局我々は皆孤独に閉じ込められており、それは死後の幽霊が閉じ込められている永遠の孤独という牢獄と何が違うのだろうか?

「私ね、小さい頃からずっとひとりだったの。もちろん親も兄弟も、学校の友達だっていたけど、何だかみんなうわべだけのよそよそしい感じがして、私の目に入らないところでは彼らは存在してないんじゃないかって思えて仕方なかった。だから、私がいちばん安心して充実した時間を過ごせるのは、いつも夜寝る時布団の中。いつの頃からかな、そんな時、布団の中で考えるのは決まって、死ぬとどうなるんだろうってことだったの。おかしいでしょう」

「死んだらきっと別の世界に行って、そこで私はやっとひとりじゃなくなる。あっちの世界へ行けば仲間がいる、向こうでみんなが待っている。そう考えるのが本当に楽しくてわくわくしたくらい。だからよく、今はみんなよそよそしいけど、地震とか戦争とかで私も含めていっぺんにみんな死んだとしたら、その時こそやっと心が通じ合えるのかな、なんて想像してた」

「そうであってほしい、いや絶対そうだ、だから死にさえすれば楽になる、そう思うから今生きていることにも耐えられる、自殺してすぐ楽になるのもいいけど、まあもう少し生きてみよう、どうせいつかは甘美な死が救いにきてくれるんだから、私がとりあえず到達した結論はこれだったの」

「そうだよね。これって本当に子供っぽい浅知恵。何ておめでたい楽天家だったんだろうって今では思える」

「高校の時かな、はって気づいたの……もしも……死んでもひとりだったらどうする?」

「でも、死んだらみんなが待っていると思ったら大間違いかもしれないよね。死んでもたったひとりで、生きてる時と何も変わらなくて、しかもその状態は、今度は永遠に続く。この世にもし幽霊がいたとしたら、まさにこれのことよね?彼らは永遠の孤独の中にいて、行くところも帰るところも奪われた存在。それってものすごく怖い。怖くて怖くてたまらない。考えるだけで発狂しそうになる。でも私はいつか死ぬ、そのことだけは間違いがない。それは明日かもしれないし、今かもしれない」

「じゃあ教えて。生きてる人間と死んだ人間と、どこがどう違うの?幽霊になることは楽しいことなの?それとも辛いことなの?それは希望?それとも絶望?そもそも幽霊って何?死ぬってどういうことなの?」
「おかしいよ。変だよ。死んでどうなるかなんてわかるわけないじゃない。みんな幽霊幽霊って言うけどさ、俺はそんなの見たって信じないからね。信じなきゃそんなものはいないんだよ。地球が丸いとか、重力があるとか、そんなことだって信じなきゃないに等しいと俺は思うね。それは科学的じゃないって言うかもしれないけど、俺はそもそも科学なんてはなっから信じてないから。ただ俺は今こうやって生きてるし、春江もちゃんと生きてるし、それは間違いのない事実だろ?いつか必ず死ぬなんて俺は考えてないよ。だってそうじゃない、ひょっとしてあと何十年か経ってさ、絶対死なない薬とかが開発されたとしてさ、ないとは言えないだろ?そうしたら俺たちいつまでも生き続けられるんだよ。馬鹿馬鹿しいって言うかもしれないけど、本気だよ。俺はそっちに賭けるな」
「でもそしたら……」春江は急に自信をなくしたようだった。「永遠に生きることになるよ」
「ああ」
「それって、楽しいのかな」


  1. 黒沢清.“回路”.徳間書店.2003.ISBN4-19-891884-8.(小説版)

  2. Kiyoshi Kurosawa. Pulse. Japan: 2001. (movie)

  3. David Robert Mitchell. It Follows. United States: 2014.

最も大事で最もどうでもいいこと

今後不定期で「死」を題材にした記事を投稿していこうと思う。死に関する小説や映画などのあらゆる表現・哲学・思想・科学・病気・その他自分が考えたことなど、様々な面から死について書いていく。
人は死ぬから生きていると言えるので、死について考えるのは生・人生について考えるのと同じと言える。そして人生について考えることはあらゆる思索の内で最も大事なことと言っても良いだろう。つまり、死(について考える)というのは最も大事なことと言える。
一方、少なくとも現代の科学力では、人は必ず死ぬ。どうせ死ぬんだったら死について考えるのは無意味とも言える。つまり、死はどうでもいいこととも言える。
ちなみに「現代の科学力では」と書いたが、仮に科学が死を克服して人が不死になったらそれで問題は解決するのか?といったテーマついても記事の中で論じていく予定だ。

初回は黒沢清の『回路』、の小説版についての記事を投稿予定。