今回は映画『グレイテスト・ショーマン』について。
(Michael Gracey. The Greatest Showman. United States: 2017.)
本作はP. T. Barnumのフリークショーを題材としている。結論から言うと、本作を好きにはなれなかった。
『グレイテスト・ショーマン』の差別性
本作を好きになれない理由は、内容が非常に差別的だからだ。
本作では、「フリーク」と呼ばれるフリークショーの団員達を笑い者にしたような描かれ方がなされており、非常に不愉快だ。
一応、白人男性Phillipと黒人女性Anneの人種・身分を越えた恋愛という要素はあるが、結局は美男美女の恋物語という極めてテンプレ的な話になってしまっている。勿論、人種差別・身分問題は重要だ。しかし、身体障害者を扱う本作において、AnneとPhillipのロマンティックな恋愛要素を押し出すことは、身体障害者達を軽んじた描写をより目立たせてしまっている。
表現の自由は死守されるべきなので、映画を含むあらゆる表現はどんなに差別的な内容でも構わない。しかし、本作は差別的な内容を「良い話」のように描いている点が偽善的で、自分は好きになれない。
『フリークス』の非差別性
『グレイテスト・ショーマン』同様、フリークショーを扱った『フリークス』という映画がある。
(Tod Browning. Freaks. United States: 1932.)
この作品は、実際に身体障害者自身が役者として登場している点も凄いが、一番凄いのは、非常に非差別的である点だ。
フランスの曲馬団の一員である小人のハンスは小人の曲芸師のフリーダと婚約していたが、美貌の軽業師のクレオパトラに魅せられてもいた。ハンスが親戚からの莫大な資産を相続することを知ったクレオパトラは金目当てに彼を誘惑し、クレオパトラに眩まされるままハンスは彼女との結婚を決めてしまう。婚約者を奪われて悲嘆にくれるフリーダを、一座の仲間のフロソとヴィーナスは心配して慰める。
実はクレオパトラは一座の怪力男のヘラクレスと通じており、結婚式のあとにハンスを毒殺する計画を進めていた。結婚式の祝宴でクレオパトラはハンスと一座の見世物仲間を侮辱し、彼女の真意を知ったハンスは悔恨にくれる。自分たちに対する侮辱と併せて毒殺計画を知ったフロソとヴィーナスをはじめとする一座の仲間たちは激怒し、逃げるクレオパトラを追い詰めて罰を下す。
やがて、ハンスは曲馬団を離れて資産家になったが、失意とフリーダへの罪の意識から沈うつな生活を送っていた。しかし、フリーダはハンスを許して彼と結ばれる。そして、クレオパトラには仕置きのあとに恐ろしい運命が待っていたのだった。
この作品では、フリークスが、彼らを差別するクレオパトラに復讐する話を通して、良い者であるフリークスと悪者であるクレオパトラという単純な対立構造を示しているだけではない。
この作品は、人間の外見的美醜と内面的美醜を完全に分離して描いている点が素晴らしい。クレオパトラ同様に健常者の美女ヴィーナスは、ハンスらフリークスを差別しない、心の美しい人間として描かれる。一方、クレオパトラに残酷な復讐を実行するハンス達の心の醜さも描いている。つまり、身体に障害はあるが心は美しいフリークスと、外見は美しいが心は醜いクレオパトラ、という単純な対立構造ではない。
この作品には、シャム双生児のDaisy and Violet Hilton姉妹が登場する。2人にはそれぞれ恋人がいて、そのやり取りが非常にユニークかつキュートで素晴らしい。『グレイテスト・ショーマン』のテンプレ的な恋愛描写とは雲泥の差だ。
『グレイテスト・ショーマン』の良かった点
『グレイテスト・ショーマン』は、「映画的に出来が良くない点」が良かった。もし、ストーリーが巧いなど映画的に出来が良いと、偽善的で差別的な内容を観客が良いものとして受け入れてしまう危険性が高い。本作はそうではないので安心できる。
Conclusion
『フリークス』は最高にキュートで残酷で妖しくて非差別的な素晴らしい映画なので、是非観て欲しい!
P.S.
『グレイテスト・ショーマン』が嫌いな理由は、24時間テレビが嫌いな理由に近い気がする。