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重力と恩寵(シモーヌ・ヴェイユ)

たとえこの身が泥の塊となりはてても、なにひとつ穢さずにいたい

シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵1 を読みました。ざっくりとメモ。

  • 現世で人間が生きていく上で、人間の魂を貶める様々な「重力」が働く
  • 真の善行により作られた真空状態に「恩寵」が入り込む。これが重力による穢れをまぬかれる唯一の道
  • 現世利益や死後の極楽などの見返りを求めずに善自体を目的として善きことをするのが善(たぶん。手段と目的の話?)
  • 社会的に善とされているものは悪の反対の相対的な善。これは真の(超本性的かつ絶対的な)善とは異なる
  • あらゆる安易な道を否定し、究極にストイック(現世での成功や快適な来世などを得るための手段としてのストイックさとは全く異なる)
    • 十字架を捧げものの視点からのみ構想する人びとは、十字架に含まれる救いをもたらす神秘と苦々しさとを拭いさる。殉教を願うなどまだまだ生ぬるい。十字架は殉教を無限にこえる。(159p)

  • 知性(科学など)では到達し得ない超本性的(不可知論的)な領域がある。超本性的な領域と知性で説明可能な領域とを正しく峻別するために、知性は厳密であらねばならない
    • 知性は秘儀の深奥に入りこむことはできない。しかるに知性は、というより知性のみが、秘儀を記述する語の妥当性を判断しうる。知性は、他のいかなる任にもましてこの任をまっとうするために、いっそう射抜くがごとく鋭く、いっそう精確さと厳密さをきわめ、いよいよ決然たる要請を突きつけねばならない。(227p)

  • 無知蒙昧な宗教的盲信(迷信)よりは無神論の方がマシ。宗教に対し懐疑の眼差しを向け、神の不在を認識した上でそれでもなお善く生きるべき(これが超本性的な意味で神を信仰することと同じなんだと思う。たぶん)
    • キリスト教の養成をうけた人びとにあっては、魂の低劣な部分がまったく資格がないにもかかわらず、これらの秘儀に厚かましくも愛着をよせたりする。だからこそ彼らには浄化が必要である。その諸段階については十字架の聖ヨハネが詳述している。無神論や不信心はこの浄化の等価物たりうる。(p225)

  • ローマとイスラエルを(プラトンの)巨獣として批判
    • 巨獣の特徴:本性的(非超本性的)、社会的(非個人的)、偶像崇拝的(ヴェイユの想定する神への信仰に反する)、重力的
  • 熱い(古代)ローマ批判
    • ローマ、それは自身のみを崇拝し、無神論唯物論に染まった巨獣である。(278p)

    • 古代の民のなかで完璧なまでに神秘を欠くおそらく唯一の民、すなわちローマ。(278p)

  • 同性愛も強く批判している辺りはわりと保守的(?)、というか異性愛が OK(?)で同性愛を NG とする理屈が分からなかったので気になる
    • ところで、ヨーロッパにおける過去二〇世紀の歴史を振りかえると、他の文明に負けず劣らずの瑕疵が容易にみつかる。アメリカ大陸を虐殺により、アフリカ大陸を奴隷制により荒廃させ、南仏を度重なる殺戮により蹂躙した。これらはギリシアの同性愛の風習、ギリシアやインドの乱痴気騒ぎの祭儀に文句なく匹敵する。(236p)

  • 東洋思想その他の様々な哲学や思想の影響は感じつつも、ベースはやはりキリスト教的思想を強く感じる。しかし旧約聖書の登場人物については一部を除いて批判的。恐らく現世利益的で、ユダヤ人以外の他者を平気で侵害する辺りが駄目っぽい。旧約ではヨブ記とかは好きそう
  • 「38. 社会の調和」は比較的現実に即した抽象度の低い話なので、ある意味読みやすいかも(?)
  • 訳者の冨原眞弓さんによるあとがきでは、本校訂版の編集方針およびその意図がしっかり書かれており好印象。そして何よりヴェイユへの熱い想いが伝わってきてとても良かった
  • 他にも色々とあるが一旦ここまで