マジックは現象の発生確率が低いほど不思議なのか?という問いを中心に、マジックと確率の関係について考えてみます。
ACAAN の確率
Any Card At Any Number (ACAAN) という有名なマジックの現象(プロット)があります。この現象は、ある観客の言ったカードが、他の観客の言った枚数目から出現するというものです。
そして、この現象が偶然に成立する確率は 1/52 です。たとえば観客 A の言ったカードがハートの Q で、デックの中でこのカードがたまたま上から 11 枚目にあったとします。ここで、観客 B が 1 から 52 の中で 11 を言った場合に現象が成立します。よって、この現象が起きる確率は 1/52 となります。当然、観客 A が他のカードを言った場合も、それぞれについて現象が成立する数字は常に 52 個の内の 1 つです。観客 B が先に数字を言ったとしても、その数字に対して現象を成立させるカードは常に 52 枚中 1 枚のため、同様に確率は 1/52 となります。
選択肢がカードと数字の 2 つあるので、現象の偶然起きる確率が 1/52 × 1/52 = 1/2704 と勘違いする人がいる、という噂もある(?)ようです。しかし先述のとおり、ACAAN が偶然成立する確率は 1/52 が正解となります。
カード当ての確率
ここで、単純なカード当てが偶然に成功する確率を考えてみましょう。なお、ここで想定するカード当ての現象は次のとおりです。
デックから観客が 1 枚のカードを引いて覚えます。そのカードはデックに戻され、演者あるいは観客自身によってデックがシャッフルされます。そして最後に、演者は観客が選んだカードを当ててしまいます。
演者が完全に当てずっぽうで観客のカードを当てにいった場合、それが成功する確率は当然 1/52 です。つまり、カード当てが偶然に成功する確率は 1/52 で、ACAAN が偶然成立する確率と完全に同じということになります。
ACAAN の不思議さはカード当ての不思議さと同じ?
特にマニアに顕著ですが、マジシャンは ACAAN を一種の聖杯と捉え、ACAAN の現象を達成することに異様な執着を見せています。しかし、ACAAN とカード当ての現象発生確率が同じだとすると、ACAAN は本質的にはよくあるカード当てと大差はなく、その不思議さも同じなのではないか?という疑問が生じるかもしれません。現象発生確率の同じ ACAAN とカード当ての不思議さが同じという仮説は、現象発生確率が低いほどマジックは不思議であるということを前提としているはずです。そこで、この点についてもう少し考えてみましょう。
現象の発生確率が低いほどマジックは不思議なのか?
マジックの不思議さを定量的に評価することはなかなか難しいため、現象発生確率のように定量的な指標でマジックの不思議さを評価できるとしたら、それは興味深い話です。しかしこのような評価は本当に妥当なのでしょうか?
まず個人的な直感としては、確率の低さとマジックの不思議さにはそこまで大きな関係はないと感じます。また、単純なカード当てと ACAAN の現象発生確率が同じだとしても、その効果には有意に差があると感じます。多くのマジシャンが ACAAN という「聖杯」にこれほどまでに取り憑かれている点について、マジシャンが ACAAN を過大評価している面がないとは言いませんが、単にそれだけではないとも感じます。
まず、マジックを観た観客がどこに不思議さを感じるかを想像してみましょう。仮に観客が、マジシャンが運否天賦でカード当てや ACAAN を演じていると思っているのだとしたら、確かにこれらの現象の不思議さは、その現象が偶然発生する確率に大きく依存するでしょう。そしてカード当てと ACAAN の現象発生確率が同じということを観客が無意識的にでも理解していたとすれば、これら 2 つのマジックの不思議さはほぼ同じに感じられる可能性は十分あります。
しかし実際のところ、観客はマジックをそのようには解釈していないと思います。観客は、「マジシャンは、確実かつ再現性のある何らかの巧妙な方法によってマジックの現象を成立させている」と理解していると考えるのが自然でしょう。その場合、マジックが偶然発生する確率の低さより、マジシャンがその現象を確実に再現する難易度や不可能性の高さの方が不思議さに寄与するように思います。
たとえば、観客の左右どちらの手に小物が握られているかを演者が当てる Which Hand のように現象発生確率が高い現象であっても、演者が確信を持ってこれを言い当て、しかもその手法(タネ)が皆目見当つかないとなれば、これは十分不思議に感じられるでしょう。反対にどんなに現象発生確率の低い現象であっても、その手法を観客がある程度推測できるようなマジックであれば、さほど不思議には感じられないと思います。カード当て 1 つ取っても、観客がカードを引き、演者がデックを混ぜ、観客のカードを当てるものと、観客が頭で思い浮かべただけのカードを演者が言い当てるものとでは、これらの現象を演者が再現する難易度が大きく異なることは観客も感じるでしょうし、実情もそのとおりです。そもそもマジックの不思議さを構成する要素は確率だけではないでしょうし、面白さなどを含めたマジックの効果全体を構成する要素となればなおさらです。
もちろん、単純な Which Hand を 1 回演じただけでは偶然を疑われてしまうことも十分あり得ます。このような場合は左右を当てるだけでなく、その中身(観客が握っている品物についての情報)を当てたり、同じ現象を何度か繰り返すなどの工夫は必要になるでしょう。つまり、確率はマジックの不思議さと完全に無関係とはいえないものの、マジックの不思議さを構成する一要素に過ぎず、「現象の発生確率が低いほどマジックが不思議とは必ずしもいえない」というのが自分の暫定的な結論です。
現象発生確率の低さが重要なマジック
せっかくなのでマジックと確率の関係についてもう少し考えてみましょう。直前に、現象発生確率が低いほどマジックは不思議だとは必ずしもいえない、と結論しました。加えて言うと、現象発生確率の低さが不思議さに寄与しやすいマジックとそうでないマジックがあると自分は考えています。ここで、現象発生確率がマジックの不思議さに影響を与えやすいのはどのようなマジックでしょうか?結論からいうと、マジックの現象を演者がどの程度主体的に起こしたように見えるか、という点に大きく依存すると考えています。
たとえばカード当てでは、演者が観客のカードを探す(当てる)ので、かなりの程度、演者が主体的にマジックの現象を起こしているように見えます。つまり、そこでは観客の選択に大きな意味はなく、演者はカードを当てる何かしらの確実な手法を使っている、と観客は解釈するでしょう。その結果、たとえば 52 枚のトランプから 1 枚のカードを演者が当てるマジックと、5 枚の ESP カードから 1 枚のシンボル(カード)を演者が当てるマジックでは、その確率差ほどには不思議さに違いがないと考えられます。
一方 ACAAN では、2 人の観客それぞれがカードと数字を指定し、演者はほとんど何もしないように見えます。その結果、観客の選択によって現象が成立するかどうかが決まってくるように見えます。この場合、選択の範囲(1 から 52 すべての数字から選ぶのか、特定の範囲の数字から選ぶのか)や、選択方法の公平さ(自由に名前を言うだけか、紙に書いたりする必要があるのか)などによって、観客が感じる不思議さも変わってくるように思います。たとえば 52 枚のトランプでの ACAAN と、5 枚の ESP カードでの同様の現象では、52 枚のトランプでの ACAAN の方が有意に不思議と感じられるのではないでしょうか。つまり、カード当てよりも ACAAN 的現象の方が、現象発生確率の重要性が増すということです。より一般的にいうと、演者が主体的に現象を起こしにいかないような演出・現象のマジックほど、その現象発生確率の低さが不思議さに与える影響が大きいということです。
また、ACAAN では現象発生確率が不思議さに寄与しやすいとすると、その確率が実際よりも低く誤解されやすいという先述の点も ACAAN の不思議さに有利に働くといえそうです。
まとめ
マジックは現象の発生確率が低いほど不思議なのか?という問いに対しては、一概にそうとはいえず、むしろ多くの場合で確率はあまり関係ないと考えている、というのが回答です。ただし、演者が主体的に現象を起こしにいかないような演出・現象のマジックでは、相対的に現象の発生確率が重要になるとも考えています。