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Bluffbox

Bluffbox というマジックのレパートリーなどを管理できる Web サイトを作ったので公開します。

https://bluffbox.herokuapp.com

マジックのレパートリーを管理していないと、自分がどんなマジックができるのかが分からなくなりがちです(少なくとも自分は)。また、演技時間やテーブルの有無などの状況に応じたルーティンを組むのも面倒です。
紙の手帳・EvernoteExcel などでレパートリー管理をしている場合も、これらはレパートリー管理に最適化されたツールではないため何かと不便です。

そこで、マジックのレパートリー管理に最適化したサイト Bluffbox を作りました。Bluffbox ではトリック・ルーティン単位でレパートリーを柔軟に管理できます。もちろん、スマホでも PC でも利用可能です。
Bluffbox ではトリック・ルーティンに加え、以下の情報を管理できます。

  • 製品(e.g., 書籍、レクチャービデオ、マジックグッズ)
  • YouTube 動画
  • マジシャン

また、これらの情報を相互に関連付けることもできます。
さらに、記事の投稿・コメント、ユーザのフォローといった SNS 機能もあります。

全機能を無料でお使いいただけるので是非お試しください!
(情報を見るだけなら会員登録は不要ですが、情報の登録・編集には会員登録が必要です)

なお、サイトの不具合や脆弱性を見付けられた方はこちらからご連絡いただけると助かります。ご意見・ご質問もどうぞ。

マインド・ミステリーズ(リチャード・オスタリンド)

実は見てなかったシリーズということで、今回はリチャード・オスタリンド(Richard Osterlind)の『マインド・ミステリーズ』(Mind Mysteries)シリーズ 1 について。以前から部分的には見ていたものの実は通しで全巻を見たことが無く、今回、と言っても結構前だが全部見たので印象に残っているトリックについて書いてみようと思う。

メンタリストにとってはメンタリズムの基本的な現象とテクニックを勉強できるし、メンタリストに限らずマジシャン全般にとってもパーラーのトリックを学ぶ上で得るところが大きいシリーズだと思う。メンタリズムをやりたい、詳しく知りたい人は全巻見ると良さそうで、そこまで興味無くても 1 巻だけでも見ておくのがお勧め。1 巻は単にパーラーショーとしてのクオリティが高いため、メンタリストに限らず全マジシャンにお勧めできる。

第 1 巻

特にこの巻のトリックは他の巻と比べてオスタリンドが演じ慣れていると言うか、パフォーマンスの練度が抜けている印象がある。そしてトリック自体も全部良い。素晴らしいパフォーマンスを鑑賞する意味でも全マジシャン・メンタリストにお勧め。

バンク・ナイト

長年の経験から客受けが保証され、どんな客層にも受け入れられるオリジナル・マジック。どんなショーにでもオープナーとして最適。

分かりやすい現象、綺麗で楽しいエンディング、シンプルな方法論、言うことなし。

センターテア

マジシャンの間で話題になった究極のセンターテア。その詳細をすべて解説します。スローでも周囲を囲まれていても演技可能。破った紙をすべて観客に手渡せます!

個人的には Ran Pink の T-REX の方が好み。

レーダー・デック

4人の観客にデックをざっと見てもらい、好きなカードを覚えてもらいます。その状態からすべてのカードを当ててしまいます!質問を一切しないで特定しているように見える巧妙な秘密をついに公開!

オスタリンドのトス・アウト・デック的なトリック。最終的に決めたカードだけでなく迷ったカードも当てられるのが良い。なお、スクリプト・マヌーヴァが翻訳しているレクチャービデオの中でもルーク・ジャーメイマックス・メイヴェンのトス・アウト・デックもあるのでこちらも見てみると良いと思う。

ウォッチ・ルーティン

1人の観客に好きな時刻を思い浮かべてもらい、もう1人の観客に腕時計の針を裏向きで適当にまわしてもらいます。まずマジシャンはその時刻を当て、それから時計を見ると、見事にその時刻になっています!即興で、借りた腕時計でも演技可能!

センターテアとは異なり紙を破らないビレットピークを学べる。

マガジン・テスト

ショーのクライマックスで演じられるマジック。観客に雑誌のページを自由に選んでもらい、後ろ手で適当にマルを書いてもらいます。その言葉を予言してしまいます!

非常にウケそうな展開。

第 2 巻

ブレイクスルー・カード・システムを使った手順が解説されている。以前はブレイクスルーのようなシステムは、より機能豊富なメモライズドデックの下位互換だと思っていた。しかしあるときから、システムの方が単機能で扱いやすい可能性も十分あると考えるようになった。システムは単機能だがメモライズドが持つ主要機能の 1 つに相当し、実際にはシステムだけで多くの強力な現象を実現できる。習得や取り扱いにかかるコストに対して得られる効果の効率ではシステムはメモライズドを上回る気がする。不適切な表現であることを承知で言えば「コスパ」が良い。観客の体験を最大化することが究極の目的だとすると、システムを使うのはマジシャンが楽をするための安直な方法に思えるかも知れない。しかし、メモライズドでなくシステムを選択することで浮いたリソースを別の箇所に割り当てることでトータルでマジックのパフォーマンスを向上させ、結局は観客の体験を最大化できるかも知れない。要はケースバイケースだろう。

チャレンジ・マインド・リーディング

観客が思い浮かべただけのカードを、マジシャンがデックに触ることなく当てます。不可能としか思えないカードトリック!

非常に知性の高いノンマジシャンの観客がマジシャンの一挙手一投足を凝視していたとしても見破れないであろうカード当て。状況によってはこのような不可能性の高い、観客からのチャレンジに応えるようなトリックが役立つケースもあるだろう。また、ベンジャミン・アールの『パスト・ミッドナイト 第 3 巻』 にもかなり似たトリックがあり、クレジットされていたかは記憶が定かではないが多分にオスタリンドの影響は受けているのではないかと思う。

第 3 巻

チェンジ・オブ・マインド

観客が自分自身のポケットから何のコインを出すかを、マジシャンが予言する奇抜な手順。独創的なギミックの作り方も詳細に解説します。またクロースアップとステージの両方で演じるための方法も解説。

ここで使われる有名な某原理を強化するサトルティが良い。自分はやらないと思うけどギミックも面白いので一見の価値あり。

ビル・イン・シガレット

観客がサインしたお札が借りたタバコの中から出てくるクラシックマジック。観客の驚きが大きいにも関わらず、シンプルで簡単にできる手順です。

似た現象だとダレン・ブラウンの Smoke も有名。

第 4 巻

グラス・オブ・ウォーター・プロダクション

水の入ったグラスを出現させる、クラシックマジックのオスタリンド・バージョン。完全にあらためたカラの紙袋の中から、両手を観客に押さえられた状態で水の入ったグラスを出現させます。ギミックを一切使わず手順構成の巧みさで実現した、多くのプロマジシャンも使う不可能現象!

グラスプロダクションはやっぱ良い。レナート・グリーンがよくやるやつも出すまでが速くて好き。

インプ・パッド・ルーティン

いかにしてショーの前に観客から特定の情報を引き出すか。“事前に情報を書いてもらった”ことを本番で明かすことで、逆に不可能性を強調することに成功した逆転の発想とそのノウハウを詳細に解説!

インプレッション・デバイスの使い方、特にプリショーでの使い方について、使う際の注意点や正当化などについて勉強になる。インプレッション・デバイスのすごく基本的な取り扱いについては Psypher PRO のレクチャービデオが意外と悪くないかも。本番での当て方についてはジャーメイの『スカルダガリ』もお勧め。

マークド・コイン・イン・ボトル

コインをビンの中に入れてしまうクラシック・マジックを、借りたコインにサインをさせて行ってしまいます。入った状態で、中のサインもしっかり確認してもらえます。

借りたコイン使用、スイッチなし、デュプリケートなし、サインありで本当にコインがビンに入る!こういう原理すごく好き。

スードゥ・サイコメトリー・バッグ

マジシャンから見えないように、5人の観客がそれぞれの持ち物を黒い袋に入れます。マジシャンはその道具を手にとって、その道具の由来や持ち主を次々と当てていきます。

サイコメトリーはリーディングに繋げやすいこともあって好き。サイコメトリーとリーディングと言えばジャーメイが『Tarot Psychometry』というのを出してる。これをサイコメトリーと呼んで良いかは微妙だけど。サイコメトリーでは最後に残った物の持ち主を当てても不思議ではないという問題があるが、本トリックではこの問題に対して工夫がある。これはメイヴェンの『Prism』に収録されているあるトリックを元にしたアイデアだ。サイコメトリーの最後の 1 人問題については同じくメイヴェンの『ナッシング』に収録されているサイコメティア(Psychometier)で異なる工夫が使われているのでこちらも見ておくと良いだろう。

第 5 巻

スプーン・ベンド

まったく新しい、仕掛けのないスプーンの曲げ方。先を持っているだけなのに、みるみる曲がっていきます。スプーン曲げを次のステップへと進めた新メソッド!

スプーンベンディングで一番ウケそうな部分を短時間に凝縮したようなトリック。ここで使われる曲げ方の一部に Mr.マリック氏の手法も関わっているらしい。

ベリー・モダン・マインドリーダー

紙片と封筒を使って行う読心術。この演技だけでも絶大な反応を観客から引き出すことができます。

トリックと組み合わせたリーディングとしてすごく良い。シンプルな原理なので道具の準備・演技の双方で演者負担が低い。CR の練習にも良さそう。

デジタル・フィードバック

計算機を使用したマジックの最高峰!演技の中で観客に驚いてもらうポイントが多くあり、最後にはずっと記憶に残る現象となるマジック!

いかにも数理トリックといった感じだがこれはウケそう。原理も面白い。

インサイド・ザ・フォールド

リチャード・オスタリンドが最も大切にしていた秘密の一つ。観客に数字を1つ言ってもらいます。演者が初めから持っていた四つ折りの紙を観客に渡して開いてもらうと、まさにその数字が書かれています。恐ろしくシンプルで不思議さが際だつ傑作!

実際にやるかは別にしてもこのハンドリングは知っておいた方が良さそう。ノンマジシャンから見た印象がどれほどかは分からないが、この手の現象のよくあるやり方よりは多少なりとも不可能性が上がっているはず。

ストッピング・ウォッチ

観客の腕時計を止め、時刻を変える実践的なメソッドを完全解説。様々なタイプの腕時計の違った挙動に対処する方法も解説!

面白い現象だけど Apple Watch などのスマート・ウォッチではできないし、最近はやややりにくいかも知れない。

ホテル・キー・クラッシュ

ホテルのカードキーに念を送りデータを消去してしまうマジック。これをいかに観客の印象に残る強烈な現象にするか、その演出の秘密も公開!

迷惑で笑う。

第 6 巻

マルチプル・キー・ベンディング

観客から借りた複数のカギを曲げてしまう手順!カギを観客に握ってもらいますが、手の中で曲がっていくのを感じてもらうことができます。ステージで行うのに最適なキー・ベンディング!

キーベンディングのやり方を知らなかったので勉強になった。とは言え曲げて良い鍵を借りられるケースは少なそうで、なかなかやる機会無さそうなのが残念。

アメイジング・メモリー・デモンストレーション

このDVDの中で最も学ぶ価値のある手順かも知れません。マジックの演技としても一級のものですが、それ以上に人生を変える方法を学ぶことができます。

ダイレクトな記憶術デモンストレーション。さすがにストレート過ぎる現象にも思えるが、ギャンブリングデモンストレーションなどと同様で驚異的な記憶力はそれ自体がエンターテイメントになるということだろう。記憶するものの名前などを言ってもらうフェーズが長く、記憶術そのものより過程を飽きさせないように演技する方が難しそう。なお、メイヴェンは『ナッシング』でメンタリズムにおける過程の重要性を語っている(メンタリズムに限らずマジック全般に当てはまると思う)。

ステノ ESP

ステノ・パッドだけで行える、メンタル・エピック系の現象!簡単で演じて楽しいだけでなく、オスタリンドがどのように発想を逆転させるかを学ぶこともできます。

特別な道具が不要で手軽に演じられる良作。上記説明文にある「逆転」のアイデアが面白い。

オリジナル・インサイド・アウト

初公開のマジック。折りたたまれたカードを振るだけで、一瞬で表と裏が入れ替わる!クリップでカードを留めても演じることができ、最後は手渡しも可能!

すごくビジュアル。SNS 時代の現代では CG のようにビジュアルなマジックの動画をよく目にするが、そういったもの全般に比べて準備がだいぶ楽じゃないかと思う。複数の原理を組み合わせており仕掛けに到達しにくい点も賢い。

第 7 巻

トリビュート・トゥ・ターベル

観客に自由なカードを1枚覚えてもらいます。マジシャンがファンにしたデックの上に、別の観客の指を当ててもらうと…それがなんと覚えてもらったカード!

『Kayfabe』でメイヴェンが似たようなのをやっていたが、こちらのオスタリンドのトリックの方が簡単にできそう。

サイコロジカル・インポッシビリティ

自由に覚えてもらったカードが広げたデックから消え、事前にあらためたマジシャンのポケットから出てくる…。スタンダードな現象に工夫を加えた、シンプルかつ強烈なカード当て。

マニア好みではない気もするが実践的には簡単でウケると思う。忘れがちだが「ノンマジシャンにウケること」は超重要だし、そもそもこれは奥が深く高度な話だ。常に意識して軽視しないように心掛けたい。似たようなトリックが『パスト・ミッドナイト 第 3 巻』にもある。

ESP スタック

ESPを独自の法則でスタックにすることで、超能力研究で行われる透視テストを完全に再現。

解説にもある通りちょっと惜しいスタック。ただ現象によっては重宝しそうなので知識として持っておきたい。

オスタリンド・デザイン・デュプリケーション・システム

ESPスタックで行った透視テストを、観客が描いた複雑な絵で行う手順。マジシャンの見えない場所で描いてもらったものと同じ絵を、見事にスケッチブックに描き上げてしまいます。

もちろん仕掛けはあるわけだが、絵のディテールを似せる際の考え方は CR 的な要素があって楽しい。

ダッズ・フェバレット

観客がカットして4つに分けたパケットのトップが、全てエース!オスタリンドが子供の頃、父親から教わったマジックですが今見てもまったく古びない不思議さです。

これ他で見たことない 2 原理だったので面白かった。どちらかと言うとマジシャンに見せたいかも。自分はピット・ハートリングの Chaos を思い出した。

ホーンテッド・キー

カギが独りでに動く古典の現象。しかしオスタリンドの方法なら、マジシャンはまったく動くことなくカギが動き出します!

このトリックに限らずここで採用されているようなマインドセットで現象を起こすべきだと強く思う。もちろんオカルト的な意味ではなく。そしてホーンテッドキーに使えそうな鍵を探していてこれを買ったけど質感等々良かったのでお勧め。

ソリッド・ゴースト

折りたたんだハンカチの中にいる「おばけ」が動き出す…。「おばけ」は消える直前まで観客自身に触って確認してもらうことができます。よくある道具ですが、オスタリンドはこれをショーのクライマックスとして行います。どのようにしてあの道具を一級のマジックに仕立て上げるのか!?

そういう素材を使うのかという驚きがあった。軽視するマジシャンは多いかも知れないけどこのトリックはウケそう。

P.S.

『マインド・ミステリーズ』シリーズで必要な道具の多くはオスタリンドのショップで買えます。

回路 小説版(黒沢 清)

……もしも……死んでもひとりだったらどうする?

今回は黒沢清の『回路』1 について。映画 2 でなく小説版について書くが、本質的にはほとんど共通する。映画の『回路』については別の機会に書こうと思う。

回路の世界では、人は死後、魂(意識)だけの存在となり永遠の時間の中を他者と触れ合うこともできず完全に孤独に過ごすことになる。死者の永遠の孤独。これがいかに恐ろしいものかは語るまでもないだろう。あるとき、ふとしたきっかけからこれら死後の世界と現世が接続する(「回路」が開く)。もう一度「生きる」ために死後の霊魂は現世で生きる人の前に姿を表す。生者から見て、これはまさに幽霊の目撃に他ならない。現世の生者の前に姿を表した幽霊はその人にある啓示を与える。それは彼ら死者が経験した通り、死後に人は永遠の孤独に閉じ込められるという事実だ。人は必ず死ぬ。そしてその死後には永遠の孤独が待っている。これを絶望と呼ばずに何と呼ぶか。幽霊を目撃しこの事実を知ってしまった人は絶望し、次の 2 つの選択肢から 1 つを選ぶことになる。

  1. 消えて無くなり「無」となる
  2. 自殺し、幽霊になり永遠の孤独に閉じ込められる。その後、回路を通って「生き返る」機会を待つ

消えて無くなり「無」となる

の場合、意識・自我の喪失の恐怖がある。死んで無になってしまうと楽しい思いをしたり物事を考えたりできなくなる。そもそもそういうことができないということを認識することすらできなくなってしまう。無になってしまえば意識が無いという恐怖を感じる主体も消滅するから何も怖くないのでは?という考え方もあるだろうが、無が怖い人にとっては主体の消滅自体が怖いのである。共感できるかは別としてどうしても詳しく理解してみたい場合は「タナトフォビア」・「死恐怖症」・「death anxiety」などで調べてみると良いだろう。生の声は 5 ちゃんねるTwitter などで知ることができる。タナトフォビアについては別の記事でも書いてみようと思う。

一方、

自殺し、幽霊になり永遠の孤独に閉じ込められる。その後、回路を通って「生き返る」機会を待つ

の場合、先述の通り孤独が永遠に続く恐ろしさは説明するまでもないだろう。

つまり、無になるにしろ永遠の孤独に閉じ込められるにしろ、どちらにせよ人の死は絶望に直結している。

ここで書いたのは回路という一小説のエッセンスだが、恐ろしいことにこの恐怖は我々が現実に運命付けられている呪いと本質的には同じと言える。回路の世界だけでなく現実世界でも人は必ず死ぬ(少なくとも現代の科学力では)。原理上、生きている人は死後に何が起こるかを知り得ない。生きている人が死後の世界を主体的に体験できるなら、生死の定義上、その個体はまだ生きているはずだからだ(死後の世界を知り得ないとき、ある人の死後について確実に言えるのはその人はもう生きていないということである)。しかし、死後は知り得ないがその可能性を想像することはできる。宗教的な世界観も包含し、死後の可能性は本質的には次の 2 つの可能性に絞られる。

  1. 無(多くの無神論者はこう考えているだろう。自分もその一人だ)
  2. 意識が永遠に続く(様々な宗教でこのような世界観が見られる)

意識の発生について自分は詳しくないが、現代的(と言うか唯物論的?)に考えると、肉体(恐らく脳)が意識を生んでいると考えるのが自然だろう。この場合、肉体の死後は無が待っていると考えるのが自然だ。一方、宗教的な世界観では天国にしろ地獄にしろ、精神世界的な空間(?)で意識(魂)が何らかの形態で永遠に存続するという立場もよくある。唯物論的にはにわかには信じがたいが、今回はこれを否定することは目的ではないしその必要も無いのでこのような可能性も否定しないでおこう。上記 1, 2 以外の可能性も考えられるかも知れないが、基本的には 1, 2 どちらか、あるいはその複合のバリエーションに過ぎず、本質的には死後の世界は 1, 2 どちらかに収斂すると考えて良いだろう。ここから言えるのは、我々の死後には無か永遠が待っているということである。

そして気付いただろうか。回路で幽霊を目撃してしまった不幸な人の選択肢 1, 2 と、現実世界の我々が運命付けられている死後の可能性 1, 2 は本質的に一致している。つまり、回路的な死後の無か永遠という恐怖、呪いに我々は現実に運命付けられている。

もちろん、死後に天国に行き幸せな状態が永遠に続く可能性が絶対に無いことを示す確実な根拠は無い(悪魔の証明)。しかし科学的に天国を肯定する根拠ももちろん無いし、このような死後を期待するのはさすがに楽天的過ぎるように思える。ちなみにこの天国的な死後への希望こそが宗教の人気の大きな要因の 1 つだと思うが、本記事ではこれ以上立ち入らないでおこう。とにかく、天国がある根拠は非常に弱いし、仮に天国があっても「自分」の死後に天国に行く確率も非常に低いだろう。さらに悪いことに、天国で永遠に過ごすことが本当に幸福なことなのか分からないし、そもそもそのような永遠の幸福状態などというものが原理上あり得るのかも不確かだ。死後の永遠というものが天国にせよ地獄にせよ回路的な虚無で孤独な世界にせよ、永遠という状態そのものにある種のおぞましさや恐ろしさを認めることはできそうだ。

ホラー作品などで幽霊に遭遇することは怖いこととして描かれるし、現実の我々も幽霊を怖がる。しかし考えてみるとこれは不思議だ。幽霊が存在するなら我々の魂は死後も存続することになるので、死後の恐怖が和らぎそうなものである。つまり幽霊との遭遇は死の恐怖から開放してくれるものと考えても良さそうなものである。回路における幽霊との遭遇とは、このような死後の無や永遠という死についての恐ろしい真実を知ることを意味する。幽霊の目撃とは、死(が持つ恐ろしい真実)の目撃なのだ。幽霊とは何か?なぜ幽霊が怖いのか?という問いに対し、幽霊自体や幽霊との遭遇をここで述べたような意味に象徴させた点が回路という作品の秀逸さだ。

人は死後、無か永遠に至るよう運命付けられているという恐ろしい死の呪いを論じたところで、別の可能性に目を向けてみよう。それは「不死」だ。古来から人は不死を求めてきた。意識的にせよ無意識的にせよ、上記で論じたような死の恐ろしさから逃れるには永遠に生き続けるしかないと考えたに違いない。不死についての技術的実現可能性を論じるのは本記事の目的ではないので、思考実験として不死が実現可能と仮定しよう。

ところで、不死であれば必ず死ぬ人生よりも幸せなのだろうか?よく考えると不死というのは永遠に生きるということである。永遠に生きるのは死後に永遠に意識が存続するのと何が違うのだろうか?そもそも永遠に死なないならそれは生きていると言えるのだろうか?死んでいる、あるいは生まれていない状態と何が違うのだろうか?

唯一の希望は、愛や友情など他者との触れ合いかも知れない。死んでしまっては他者を愛し心を通わせられないかも知れないが生きていればそれができる。なるほどこれは生きることに対する明るい考えに見える。実際、映画『イット・フォローズ』(2014)3 などはこのような思想と近い部分があり、死(It)から完全に逃れることができなくても性愛が部分的にはその癒しとなるような描き方をしているし、少なくともそのように解釈することは十分に可能だろう。そして永遠に生きるならば死(幽霊や It)を完全に退け、他者と心を通わせ幸せに生き続けることができるかも知れない。実際、回路の終盤で老医師は次のように語る。

「私たちが研究していたのは不老不死、つまり永遠に生き続ける生命についてなんだ」

「うん。不死の生命を獲得すること、永遠の命を生きてみせること、私はそれしか奴らの鼻をあかす手段はないと思っている」

しかし本当にそうだろうか。上記に続いて老医師は次のように語っている。

老人はふっと憂鬱そうな表情を見せた。「私がひとつだけ心配していることがある。もし永遠の生命を持ったとして、それで人は本当に幸せなのだろうか、ということさ」

生きる我々は本当の意味で互いに心を通わせることなどできるのだろうか?生きていても結局我々は皆孤独に閉じ込められており、それは死後の幽霊が閉じ込められている永遠の孤独という牢獄と何が違うのだろうか?

「私ね、小さい頃からずっとひとりだったの。もちろん親も兄弟も、学校の友達だっていたけど、何だかみんなうわべだけのよそよそしい感じがして、私の目に入らないところでは彼らは存在してないんじゃないかって思えて仕方なかった。だから、私がいちばん安心して充実した時間を過ごせるのは、いつも夜寝る時布団の中。いつの頃からかな、そんな時、布団の中で考えるのは決まって、死ぬとどうなるんだろうってことだったの。おかしいでしょう」

「死んだらきっと別の世界に行って、そこで私はやっとひとりじゃなくなる。あっちの世界へ行けば仲間がいる、向こうでみんなが待っている。そう考えるのが本当に楽しくてわくわくしたくらい。だからよく、今はみんなよそよそしいけど、地震とか戦争とかで私も含めていっぺんにみんな死んだとしたら、その時こそやっと心が通じ合えるのかな、なんて想像してた」

「そうであってほしい、いや絶対そうだ、だから死にさえすれば楽になる、そう思うから今生きていることにも耐えられる、自殺してすぐ楽になるのもいいけど、まあもう少し生きてみよう、どうせいつかは甘美な死が救いにきてくれるんだから、私がとりあえず到達した結論はこれだったの」

「そうだよね。これって本当に子供っぽい浅知恵。何ておめでたい楽天家だったんだろうって今では思える」

「高校の時かな、はって気づいたの……もしも……死んでもひとりだったらどうする?」

「でも、死んだらみんなが待っていると思ったら大間違いかもしれないよね。死んでもたったひとりで、生きてる時と何も変わらなくて、しかもその状態は、今度は永遠に続く。この世にもし幽霊がいたとしたら、まさにこれのことよね?彼らは永遠の孤独の中にいて、行くところも帰るところも奪われた存在。それってものすごく怖い。怖くて怖くてたまらない。考えるだけで発狂しそうになる。でも私はいつか死ぬ、そのことだけは間違いがない。それは明日かもしれないし、今かもしれない」

「じゃあ教えて。生きてる人間と死んだ人間と、どこがどう違うの?幽霊になることは楽しいことなの?それとも辛いことなの?それは希望?それとも絶望?そもそも幽霊って何?死ぬってどういうことなの?」
「おかしいよ。変だよ。死んでどうなるかなんてわかるわけないじゃない。みんな幽霊幽霊って言うけどさ、俺はそんなの見たって信じないからね。信じなきゃそんなものはいないんだよ。地球が丸いとか、重力があるとか、そんなことだって信じなきゃないに等しいと俺は思うね。それは科学的じゃないって言うかもしれないけど、俺はそもそも科学なんてはなっから信じてないから。ただ俺は今こうやって生きてるし、春江もちゃんと生きてるし、それは間違いのない事実だろ?いつか必ず死ぬなんて俺は考えてないよ。だってそうじゃない、ひょっとしてあと何十年か経ってさ、絶対死なない薬とかが開発されたとしてさ、ないとは言えないだろ?そうしたら俺たちいつまでも生き続けられるんだよ。馬鹿馬鹿しいって言うかもしれないけど、本気だよ。俺はそっちに賭けるな」
「でもそしたら……」春江は急に自信をなくしたようだった。「永遠に生きることになるよ」
「ああ」
「それって、楽しいのかな」


  1. 黒沢清.“回路”.徳間書店.2003.ISBN4-19-891884-8.(小説版)

  2. Kiyoshi Kurosawa. Pulse. Japan: 2001. (movie)

  3. David Robert Mitchell. It Follows. United States: 2014.

最も大事で最もどうでもいいこと

今後不定期で「死」を題材にした記事を投稿していこうと思う。死に関する小説や映画などのあらゆる表現・哲学・思想・科学・病気・その他自分が考えたことなど、様々な面から死について書いていく。
人は死ぬから生きていると言えるので、死について考えるのは生・人生について考えるのと同じと言える。そして人生について考えることはあらゆる思索の内で最も大事なことと言っても良いだろう。つまり、死(について考える)というのは最も大事なことと言える。
一方、少なくとも現代の科学力では、人は必ず死ぬ。どうせ死ぬんだったら死について考えるのは無意味とも言える。つまり、死はどうでもいいこととも言える。
ちなみに「現代の科学力では」と書いたが、仮に科学が死を克服して人が不死になったらそれで問題は解決するのか?といったテーマついても記事の中で論じていく予定だ。

初回は黒沢清の『回路』、の小説版についての記事を投稿予定。

Mac OSは標準でアンチウイルス機能を持っている

TL;DR

Mac OSmacOS)は標準でアンチウイルス機能を持っている。

背景

なぜ今更こんなことを書くかと言うと、Windows については OS 標準で Windows Defender というアンチウイルス機能があるためサードパーティーアンチウイルスソフトは不要という記事等をよく見る一方で、Mac について同様の記述をほとんど見かけない気がする。そこで、そもそも Mac OS 標準でアンチウイルス機能を持つかなどを調べ、その結果を Web 上に残しておこうと思ったから。

調査結果

結論から言うと、タイトルの通り Mac OSmacOS)は標準でアンチウイルス機能を持っている。

Appのセキュリティの概要 - Apple サポート には次のように書いてある。

macOSには、マルウェアをブロックし、必要に応じて削除する最先端のアンチウイルス機能が搭載されています。

そしてこのページ内にある XProtect と Malware Removal Tool (MRT) が一般的なアンチウイルス機能に相当するものの中心だと思う。XProtect がマルウェア定義の更新とマルウェアのインストールをブロックし、MRT が侵入済みのマルウェアを削除する。それぞれの概要は macOS_Security_Overview_for_IT_JP_Mar18_F.pages などが参考になる。

XProtect

macOS は、パターンに基づいてマルウェアを検出するテクノロジーを内蔵しています。AppleMac のシステムをマルウェアの感染から守るため新たな感染や新型マルウェアの登場を監視し、システムアップデートとは別に、 XProtect のパターン情報の自動更新を実行しています。XProtect は既知のマルウェアを自動的に検知し、インストールをブロックします。

マルウェア削除ツール

macOS には、Macマルウェアが侵入したとしても感染に対処するテクノロジーが搭載されています。Apple は、Developer ID の無効化や(該当する場合)、XProtect の新しいアップデートを発行するためにエコシステム内のマルウェアの活動を監視するだけでなく、感染したシステムからマルウェアを削除するためのアップデートをmacOS に発行します(システムが自動的にセキュリティアップデートを受け取るように設定されている場合)。マルウェア削除ツールが更新情報を受け取ると、次の再起動後にはマルウェアは削除されています。マルウェア削除ツールによって Mac が自動的に再起動されることはありません。

感想

Mac OSアンチウイルス機能があるのは分かった。ではサードパーティーアンチウイルスソフトは必要か?
正直、自分はこの辺り詳しくないのではっきりしたことは言えないが、個人の価値観・状況(プライベート用?仕事用?扱うデータの重要度は?)などによって求められるセキュリティ要件が異なるため、それに応じてサードパーティーアンチウイルスソフトを導入するなどしてセキュリティレベルを上げることは必要だろう。ただし、Mac OS 標準に基本的なアンチウイルス機能はあるので、全ユーザーがサードパーティーアンチウイルスソフトを導入する必要はないのではないかと思う。責任は取れないけど。

結論

Mac OSmacOS)は標準でアンチウイルス機能を持っている。サードパーティーアンチウイルスソフトが必要かどうかはケースバイケース。個人的には全ユーザーがアンチウイルスソフトを入れる必要は無いと思う。

事件現場から: セシルホテル失踪事件

今月配信が始まった Netflix のドキュメンタリー『事件現場から: セシルホテル失踪事件』を観た。

本作はいわゆる「エリサ・ラム事件」をメインの題材として、この事件の顛末を解説していく。
エリサ・ラム事件と言えば未解決事件的な文脈で有名だと思うが、本作を観ても分かるようにこの文脈で語るのは正しくない。この事件の最もまっとうそうな真相は、エリサ・ラムさんがセシルホテルで事故死したというだけのものである。それにもかかわらず、エレベーターの監視カメラ映像に映った彼女の見えない何かから追われているようなあまりにも奇妙な行動、セシルホテル屋上の貯水槽での遺体発見など彼女の死を取り巻く状況があまりにも不可解だったために、不謹慎な見方ではあるが、この事件が未解決事件・都市伝説・オカルト的な観点で興味を引きやすい要素に溢れていたことは確かにあるだろう。

そして、まさにこの事件に対する未解決事件・都市伝説・オカルト的な文脈での好奇心が、本作を観るモチベーションの一定以上を占めていることは否定し難いように思う。
このような不謹慎な好奇心を釣り餌にした本作では、セシルホテル周辺の LA ダウンタウン スキッド・ロウの治安の悪さやそれが放置されてきた現実、無責任なネットユーザーの言動など、事件の背景にある社会問題に極めて真面目に切り込んでいきながら、オカルト的文脈からかけ離れたまっとうなエリサ・ラム事件の結論を提示する。

これは穿ち過ぎかも知れないが、エリサ・ラムという一個人の死について野次馬的に覗き込んだ我々視聴者の好奇心そのものに対するカウンター的な感じもあり、ある種の居心地の悪さと共にドラマが終わる。

勿論、本作の内容そのものは(広義の)被害者の名誉や社会的道義の観点から極めてまっとうで「正しい」。しかし、あまりにもまっとうで当たり前のことしか言っておらず、それが悪いわけでは無いが、善悪の彼岸までは踏み込めていない点は気になる。しかし今回の題材には被害者がいることもあり、そこまで踏み込むべきなのかも定かではない。そしてこの先は、そもそもドキュメンタリーとは何か?良いドキュメンタリーとは?といったような根本のドキュメンタリー論に踏み込み複雑化しそうなので今回はここまで。

闇動画4

面白かったので。ただ観たの数ヶ月前で記憶が曖昧なので細部で間違ってたらごめんなさい。別の作品と混同している可能性めっちゃある。
なお、以下の各話あらすじは Amazon.co.jp: 闇動画4を観る | Prime Video から引用。

合い鍵

映像提供者の同僚は結婚を控え、中古のマンションを買った。その新居に遊びに行くと思いがけぬ人物が待ち構えており、同僚の不幸が始まったという...。

来そう、と身構えてたところに来たけどビクッとした。事故物件の心霊的な怖さと自宅に知らない人が入り込んでいる現実的な怖さという 2 種類の怖さがいい感じにブレンドされている。ラストの部屋のビジュアルも見た瞬間にギョッとする感じが最高。引っ越しの際はちゃんと鍵交換しておきましょう。

顔面陥没

微妙。

栄光の手

謎の新興宗教団体の教団員たちが撮影したと言われている恐るべき映像。彼らは風俗嬢を呼び出し、「栄光の手」なる魔道具を作ろうとするのだが...。

コンセプトは好きだけど全体的には微妙。

同棲の相手

妹が霊にとりつかれたと言って霊能者の男性と同棲し始めた。姉は心配して別れさせようと妹のアパートに向かうが、思いがけぬ事態に巻き込まれてしまう! 数々の怪奇現象に襲われる映像提供者の姉妹と彼女たちを守ろうとする霊能者の男性。その先には不幸な結末が待っていた。そして驚愕の事実が明らかに...。

これが良かった!どっちの言ってることを信じれば良いのか分からない中で決断を迫られるというシチュエーションが好きで、霊能者の胡散臭さ加減が良い塩梅。比較的最近の映画だとナ・ホンジン監督の『哭声/コクソン』や中島哲也監督の『来る』にこのシチュエーションがあっていずれも好きな作品。この手のシチュエーションの元祖って何だろうか?

ただ、ラストの演出はギャグっぽくてあんま好きじゃない。これまで闇動画シリーズを数本観た限りではシリアスな恐怖とネタっぽいギャグが同居してる感じで、このバランスが悪い意味で心地悪い気がする。単に個人的な相性なのか、客観的にもそうなのかは不明。
ちなみに白石晃士監督作品ではシリアスな恐怖とギャグの同居が良い意味で心地良くて大好物なので、この違いを考えてみるのは良いかも。

アナーキー・国家・ユートピア

ロバート・ノージック著『アナーキー・国家・ユートピア1(原著 2)が面白かったので簡単にその感想を書いてみる。

最初に書いておきたいのは、本書は政治哲学の本でありイデオロギー(政治思想)の本ではないということだ。あくまで哲学的探求・論理パズルとして楽しめるので読者のイデオロギーに依存しない。本書の論理展開はほぼジョン・ロック的な自然権のみを前提としておりどのような形態であれ国家を前提としないため、ここでのイデオロギー対立は生じない。逆に言うとロック的な自然権を否定する読者からするとイデオロギー的に対立すると言えなくはないが、そのようなケースは稀だろうし、仮にこの前提を否定するにしてもその後の論理展開自体を楽しむことは可能だろう。個人的にも政治哲学的な結論よりも論理展開の過程そのものを面白く感じ、大いに啓蒙された。

本書は三部構成になっており、第一部では、人間各個人が自然権のみを持ち国家が存在しない自然状態からスタートする。ここから誰の自然権も侵さずに最小国家が正当に成立し得ることを示す。ここで言う最小国家とは各個人の自然権を守るための夜警国家的なものであり、現実に多く存在するような財の再分配を行う拡張国家(福祉国家)のような機能は持たない。第二部では、国家の権限としては最小国家の範囲までが道徳的に正当化できる限界であり、拡張国家は正当に成立し得ないことを示す。具体的にはジョン・ロールズの『正義論』における正義の二原理を批判することで拡張国家を正当化できないことを示す。第三部では、これまでの議論と独立して人類の理想社会であるユートピアはどのような姿かを探る過程で、最小国家こそがユートピアであることを示す。厳密には、最小国家ユートピアの枠(メタ・ユートピア)になり得るということである。これにより、第一、二部とは独立した別方面からも最小国家を擁護する結論が出たことになる。

本書はロールズ的な財の再分配を批判し権原理論の正当性を主張する。権原理論では歴史的に正当な手続きを経て得た個人の財はその個人本人の私有財産であり、再分配のために強制的に国家に奪われない。
しかし、現在の社会における財の配分が権原理論において歴史的正当性を持つことを示すのは困難であり、これに起因する問題として例えば子供の格差は深刻ということがある。このような状態を是正するために一時的に再分配的な政策が必要になることを本書では否定してはいない点が興味深い。例えば、配分が正義に適う(あるいはそう近似できる)状態に是正されるまでリベラル的な再分配を実施し、正義に適う配分に達した時点で国家の権限を縮小し、最小国家の下でのリバタリアニズム(ミナキズム)的個人主義に転換するという可能性は開かれている。最小国家の下で権原理論の正当な状態が崩れ格差が不当に拡大することを避けられないとすれば、この拡張国家による再分配 → 最小国家の過程は繰り返されるのかも知れない。この極限が収束するのか振動を続けるのかは定かではない。

本書の内容に関連して、今なら COVID-19 パンデミック感染症対策を理由に国家が個人の権利を制限(侵害)することは道徳的に正当化できるのか?できるとしたらその根拠は?正当化できるとしてどこまで正当化できるのか?その根拠は?などを考えてみるのは啓発的ではないだろうか。

道徳的立場から正当化できる国家、あるいはメタ・ユートピア最小国家という本書の立場は、基本的に市場原理に任せる超個人主義と言って良いだろう。これは一見リアリスト的で理想論に対して冷笑的に見えなくもないが、次のような記述もあり理想的なユートピア論を冷笑していない点が良い(これは偏見かも知れないが、 教養を持ち現実をよく知る人が理想を軽視し、冷笑的になってしまうケースがありがちな気がする。理想を笑わず真摯に追求し、現実との乖離を測定し、その乖離を埋める努力を続けることはとても重要だと考えている。「現実はこうだからそんな理想論言ったってしょうがない」的な論法は間違っている。少なくとも常に正しいとは限らないということは言っておきたい)。

私が構成要素であるコミュニティーの具体的性格を何ら提起しなかったのは、それをすることが重要でないとか、相対的に重要性が低いとか、つまらないとか(と私が考えている)と言いたいからではない。どうしてそんなことがあり得ようか。我々は、具体的コミュニティーの中で生きるのである。ここでこそ、人の理想的社会または善き社会についての非帝国主義的見解が提起され実現されるべきなのである。我々にこれを許容してくれることが、枠の存在意義なのである。望ましい具体的性格をもつ具体的コミュニティーの創造へと駆り立て鼓舞するこのような様々のヴィジョンなしでは、枠は命を欠くことになろう。多数の人々の具体的ヴィジョンと結合することで、枠は我々に、すべての可能的世界の中で最善のものを得ることを可能にしてくれるのである。

([1] pp. 538)


  1. ロバート・ノージック著,嶋津格訳,『アナーキー・国家・ユートピア 国家の正当性とその限界』,1995 年.

  2. Robert Nozick, Anarchy, State, and Utopia, 1974.