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ジュラシック・ワールド/炎の王国

ジュラシック・ワールド/炎の王国』を観てきた。
(J. A. Bayona. “Jurassic World: Fallen Kingdom.” United States: 2018.)

前作『ジュラシック・ワールド』において、クレアはインドミナス・レックス誕生を主導し、オーウェンはインドミナス・レックスを脱走させた。つまり、主人公クレアとオーウェンは、ジュラシック・ワールドでの大惨事に対する責任がある。
しかし前作では、クレアとオーウェンはこの責任をどうするのか?という点はうやむやにしたまま、なんか良い感じに終わってしまった。1

そんな中での本作。
序盤、クレアとオーウェンが恐竜を救いに行く展開に。この時点では正直、このまま進んでいってなんやかんやあり、最終的に恐竜を救って良い話でしたー、っていうのは、偽善的で嫌だなー、と思っていた。
しかし本作は予想外の方向に話が進み、最終的には、序盤に抱いたものとは全く異なる印象を持った。

行動の必然性

まず本作で良かったのは、登場人物の行動に必然性があること。
例えばラスト。クレアとオーウェンは、恐竜を救うか、人類のために恐竜を犠牲にするか、という二択を迫られる。そこで彼女らは後者を選択する。これは勿論、前作での悲劇を踏まえた決断である。

その一方、メイシーは恐竜を解放してしまう。
中盤、メイシーがクローンであることを告げられるシーンは、劇的ではなく、比較的あっさりと描かれる。ここだけを見ると唐突すぎる気もするが、実際には伏線がある。
ここまでで、彼女の出自に疑問を持たせる描写はいくつもあった。まず、彼女は祖父ベンジャミンが大事に持っているアルバムが気になっているようだが、ベンジャミンは見せたくなさそうにしている。また、彼女の両親の姿が見えない。母親の話は出てくるが、父親の話が出てこない。
彼女は意識的にせよ無意識的にせよ、自らの出自に疑問を感じている。もしかしたら、自分が母親のクローンである可能性にも薄々気付いているかも知れない。自らの出自への疑問を抱きながら、彼女は広大な屋敷の中で暮らしている。この辺りは『ブレードランナー』のレイチェル的とも言える。
このようなバックグラウンドを持つからこそ、彼女が最後に下す決断には必然性がある。

人間とクローン

本作はクローンに関して様々なことを考えさせられる。
クローン人間に人権はあるのか?人間以外のクローンの場合はどうか?
この話はクローンに限らず、人工知能・人工生命一般についても言える。

本作では、恐竜を売り物にしようとする人間の醜さと、クローンである恐竜・メイシーの対比を通して、人間の方が本当に人間らしいと言えるだろうか?という疑問を生じさせる。この辺りも『ブレードランナー』を思い出させる。

etc.

  • 異種間の交流(人間と恐竜)や、人間世界に普通に恐竜がいる構図が個人的にめっちゃツボなので、本作はこの点だけでも満足
  • インドラプトルの死んだふり(寝たふり?)が可愛い。人工恐竜ならではの、良い意味で不自然に人間的すぎる表現が好き
  • 完全に恐竜が人間世界に解き放たれた世界(ジュラシック・ワールド!)での続編に期待。『ロスト・ワールド』のインフレバージョン?


  1. ちなみに彼らの責任は、新作の悪役イーライ・ミルズによって言及される。