感想を残しておきたいのですが文章を書くのは面倒なので箇条書きで雑に。古典なので問題ないと思いますがネタバレありです。念の為。
なお、今回は光文社古典新訳文庫の望月哲男訳を読みました。
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主要登場人物
アンナ(アンナ・カレーニナ)……カレーニン夫人。オブロンスキー公爵の妹。
リョーヴィン(コンスタンチン・リョーヴィン)……オブロンスキーの友人。大きな領地を持つ地主貴族
- 主人公のアンナがなかなか登場しない(登場するまでに 100 ページは超えてたと思います)
- アンナが死んでからも結構話が続く
- 主人公のアンナ以外にリョーヴィンも準主人公
- 訳者の望月先生の解説にもありますが、トルストイはアンナを単純な悪女とも悲劇のヒロインのどちらとも描いていない(あるいはその両面を持つ人物として描いている)点が良かったです
- アンナの心理、言動の描写が的確で痛いほどに共感
- 分かりやすさのためにあえて雑に言うとメンヘラ描写ということです。ただ、この表現は侮蔑的に扱われがちなのでどうかな、とは思います
- アンナは異常に人間らしい不合理さや割り切れなさを体現していると思います
- 「アンナは自分勝手で嫉妬深く不幸になるのは自業自得。共感できない」といった感想は合理的で正論ではあります。しかし自分はそれ以上にアンナの人間らしさに対して共感や憐憫といった気持ちを強く持ちました
- この人間らしさは AI に対抗する武器となり得るかも知れません。もしこの点でも人間が AI に劣ってしまうという未来があるとすると、それは真にディストピアでしょう…
- 人間心理への理解度とその描写力が圧倒的
- 人間心理の複雑さや、1 人の人間の内にある矛盾した感情の葛藤、相克が鋭く描写されている
- 対比や円環
- アンナとヴロンスキーの鉄道の駅での出会いと、最後のアンナの鉄道自殺
- リョーヴィンの兄ニコライの死の看取りと、その直後に発覚するリョーヴィンの妻キティの妊娠
- ニコライの死の場面の描写はとんでもなく真に迫るものがありました。アンナの鉄道自殺の場面と併せて死の描写に感激
- 予兆、予感
- アンナとヴロンスキーが出会う駅での鉄道事故→2 人の破滅とアンナの鉄道自殺の予兆
- ヴロンスキーが競馬で乗馬中に一瞬の油断から落馬し、愛馬が死亡→2 人の関係に迫る不穏さを予感
- アンナとヴロンスキーが共に見る悪夢→アンナの死の予兆
- アンナが恋愛に全てを賭けた後の周囲からの圧力や非難、些細なすれ違いからアンナの思考がどん詰まっていく心理描写。負のスパイラル。恋人との破局から自死に至る思考。死の直前、我に返ってしまう恐怖
- アンナ自殺後のリョーヴィンの思考や兄コズヌィシェフとの議論は、トルストイ自身の代弁か
- リョーヴィンは不信心に苦しみつつも結婚式、兄の看取り、妻の出産などのイベントである種の宗教的恍惚を得られています。しかも最終的には信仰(と呼べそうなもの)を獲得するにまで至っており、そうなれる人はわりと幸せという気がします
- 信仰を持つ、あるいは持たないことに何の疑問も持たずに済めば良いのですが…
- 19 世紀ロシアの話ですが今とほぼ同じことを言ってる箇所が色々と
- 今は変革の時代!
- 最近の若者は手軽に教養を身に着けようとしてけしからん
- 経営者は「利益を最大化するために農民(労働者)に効率的に働いて欲しい。それで win-win になる」と考える。一方の農民(労働者)は「今の仕事をそのまま続けて毎日の暮らしが維持できればそれで良い。新しい(余計な)ことはしたくない」と考える。ここにギャップがある
- 人生の意味やどう生きるべきかという難問について、リョーヴィンの(暫定的な)最終回答は概ね次のような感じ
- 結局リョーヴィンはキリスト教的信仰に落ち着くことで心の安寧を得るわけでそれはそれで良いんですが、一周回ってありきたりの思想に戻ってしまった感じでちょっと残念でもあります