Blufflog

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勝ち組・負け組

例えば就活で、「Aという企業に入ったら勝ち組で、Bという企業に入ったら負け組だ」というようなことは存在しない。

人生において勝ち負けは無いし、あるとしたら人間は全員死ぬので全員負け。

自分は中学生の頃から、「人は皆必ず死ぬ」ということに非常に自覚的だったので、ずっとこう思ってきた。
ちなみに、人間の死に自覚的になったきっかけは、山口 雅也の『生ける屍の死』1という小説を読んだこと。
自分はこの小説の影響を本当に強く受けていて、好きな映画のジャンルがホラーと恋愛であることにも関係している。


  1. Masaya Yamaguchi. Death of the Living Dead. Japan: October 1989.

Eric Chien FISM Act: First Impression

FISM 2018 クロースアップ・グランプリ Eric ChienのFISMアクトを観たので、初見の印象を書いておく。
観てみて、取り敢えず面白かった。ただ、すごく好きかというとそうでもない。
自分の好みではなかったというだけなので、このアクトを批判するものではないです。

動画はこちら。

現象

演者が白いリボンをテーブルの中央に置く。すると、リボンの左右でカードの色が変化したり、カードがコインに、コインがカードに変化したりする。このアクトで凄いのは、この変化現象が非常にビジュアルに起きるところ。
この、リボンの左右でカードが変化するというのは、Helder GuimarãesのInvisible Threadを思い出させる。これは、見えない糸という演出を用いたFollow the Leader風のリセットで、非常に巧く構築された名作だ。
また、このアクトはLennart Greenの影響が強い。Greenはカードを左右交互に配っていくと赤黒に分かれるというマジックを(レギュラーデックで!)やっており、ここで用いられる彼の代表的なテクニックは、Eric Chienのアクトでも使われている。

気になった点

マジックの個人的な好みとして、実際に使われる手法と、現象から想起される手法とが乖離している方が好き、というのがある。例えば、スライトを使った場合はギミック的な現象に見え、ギミックを使った場合はスライト的な現象に見えるのが好み。どこでどんな手法を使ったのかが分からず、不思議さが増すと思う。1
この点で今回のアクトは、スライトっぽい所とギミックっぽい所がはっきりしているように見え、あまり好きではなかった。悪い意味で直接的過ぎるというか、ギミックやスライトを順番に見せられているだけに感じてしまう。これはShin LimのFISMアクトでも感じたが。

他に気になったのが、ラッピング。このアクトのように、テーブルを使い、座った演技を見ると、自分のような馬鹿でもラッピングという手法を想起する。
となると、ラッピングを考慮しても不思議に感じるくらい強烈なことを起こして欲しい。Tony SlydiniやYann Frischはこれがよくできていると思う。
Eric Chienのアクトはそこまでのレベルには感じず、ラッピングを使ってうまいことやったんだろうなー、くらいの印象にしかならなかった。

演出・現象的にも、先程述べた通り、HelderやGreenを筆頭に既存な感じが強いので、目新しさは感じなかった。

Conclusion

初見の印象なのでいずれ変わるかも知れない。
何はともあれ、FISMグランプリのアクトを観られて本当に良かった。FISMの映像は放送や販売するなどして欲しい。


  1. Lennart GreenのFISM失格エピソードみたいな状況が最強だと思う。あとは、絶対にレギュラーデックだと思い込ませるために、何日も前から仕込んでおくとか。

iPhone XS:雑なレビュー

iPhone XSを買って使い始めたので、雑なレビューを残しておく。
購入したのは「iPhone XS スペースグレイ 64GB SIMフリーモデル」。

これまでのスマホ使用状況

  • Xperia Z3ユーザ
  • iPhone使用経験無し
  • iPad mini 4ユーザなので、iOSは経験有り
  • スマホゲームはほぼやらない
  • 写真はあまり撮らない
  • Googleフォト使用
  • 動画は入れない(iPad mini 4に入れる)
  • 音楽は入れる

良かった点

  • ディスプレイがめっちゃ綺麗
  • ほぼベゼルレスで、本体サイズに対しディスプレイが大きい。現代的なデザインで良い
  • 片手操作可能な最大サイズ程度
  • Z3より若干小さく、持ちやすい
  • サクサク動く
  • iOS 12の機能・公式アプリが洗練されていて気持ち良い
  • Face IDが便利
    • 顔認証の存在を忘れるくらい、簡単にロック解除できる
    • 暗くても認識してくれる
    • 外見を2種類登録できるので、認識精度を上げられる(e.g., 眼鏡あり/なし)
    • Touch IDより便利だと感じる(登録/認証速度・認証精度)
  • Apple Payが便利
    • iPhoneのバッテリーが切れても、しばらくSuicaが使える

気になる点

  • 高い
  • カメラの出っ張りが邪魔
  • ノッチが気になる
  • Z3より質量が重い
  • バッテリーは大して持たない
  • スペースグレイの場合、指紋跡が目立つ(個人的にはあまり気にしていない)

P.S.

Apple公式サイトで、「XS」・「Xs」の表記揺れがあるのがめっちゃ気になる。
あと、ストレージ戦略で儲けようとしてるのがムカつく。

2018/10/21

基本的に、人は他人と本当の意味では分かり合えないと思っている。本質的に人は皆孤独ということになり、人類にとって絶望と言える。

仮に他人と本当の意味で分かり合えるとしたら、それには徹底的な自己犠牲・利他的行動が必要だという気がしている。
TVアニメ『ユリ熊嵐』(2015)で描かれたように、断絶の壁を乗り越えて2人が本当に分かり合うには、自分を捨てて徹底的な利他的行動を取らなければならない。
実際、徹底的に利他的な行動を見ると本当に感動するし、これは人類にとって希望だと言える。
その一方で、絶対に他人と分かり合えることなく死んでいく人も大勢いるわけで、これは絶望だ。そして自分が属するのはこちら側だろうとも思う。

矛盾するようだが、人が本当には分かり合えないとしても、共に生きていくことは可能だと信じている。映画『メトロポリス』(1927)のラストで資本家と労働者が手を結んだように。そしてこの協調を実現させたのは、主人公フレーダーのやはり徹底的な利他的行動であることは興味深い。
人が本当の意味では分かり合えないとしても、他人の心身を傷つけたり、国家間で殺し合ったりする必要は無いし、これらを退け、共に生きていくことはできるはずだと思う。

徹底的な利他的行動によって人は分かり合えるかもしれないし、そうでなかったとしても、共に行きていくことはできると信じている。
しかし…、「人は分かり合えず孤独」という話を推し進めるとより深刻な問題に直面する。黒沢清の映画『回路』(2001)で描かれる生死と孤独。これは本当に根が深い…。

Python glob()

Pythonのglobモジュールでハマった。

Pythonglob.glob(pathname) は、pathnameのファイル一覧を返す。pathnameにはUNIXスタイルのパターン表現が使える。

foo/bar [Disc 1]/ 以下のFLACファイル一覧を取得するようなことをやろうとして次のコードを書いたが、うまく動かなかった。

glob.glob('foo/bar [Disc 1]/*.flac')

glob()の引数のパターンでは、角括弧(square brackets)はそのまま使えない。角括弧は次のようにエスケープする必要がある。

[ -> [[]
] -> []]

よって、次のコードが正解。

glob.glob('foo/bar [[]Disc 1[]]/*.flac')

目覚まし時計

最近はこんな感じの目覚まし時計を使っている。

普通の目覚まし時計のように音を鳴らすのでなく、振動を利用する。枕の下に入れて使う。
ちなみにこの製品に関しては、設定で音を鳴らすこともできる。

Pros

  • 眠りが深くアラーム音が聞こえない人も起きられる可能性がある
  • 音が出ないので近所迷惑にならない

Cons(この製品に関して)

  • アラーム時刻を1つしか設定できない
  • 時刻設定するにはボタンを連打する必要があり面倒
  • 電波時計ではないので手動時刻合わせが必要

Conclusion

静かに起きられるので便利。 似た製品はいくつかあるので調べてみてください。

理想とするマジックのスタイル

念の為前置き

これは個人的な好みなので、これが正しいとかそういうものではない。

「マジックのスタイル」とは?

要は、「どういう体でマジックを演じるか?」ということ。
何が現象を起こすのか。魔法?ギミック?スライハンド?心理学?超能力?
そもそも演者はマジックというフィクションを演じているだけなのか?それともガチでそういう能力があるのか?
マジシャンによってこのスタイルは様々だが、今回は自分が理想とするマジックのスタイルについて書いてみる。

理想とするマジックのスタイル

基本コンセプトは、とにかく不思議で面白いことを起こす。これだけ。これがフィクションなのかガチなのかは観客の判断に委ねる。

では、現象の根拠は何か?これには2つの立場がある。

  • 何も無い
  • 全てあり得る

それぞれ説明しよう。

何も無い

これは文字通り、現象の根拠が何も無いというスタイル。どうやってこの現象が起きたのかは説明できないが、とにかくこうすると現象が起こる、起きてしまう、というスタイル。根拠が何かの判断は全て観客に委ねる。

全てあり得る

現象が起こった。
道具に仕掛けがあるのかも知れないし、指先のテクニックかも知れない。あるいは両方かも。他にも、心理学・科学・暗示・催眠・コールドリーディング・魔法・超能力・霊能力・悪魔の力、何でもあり得る。不思議で面白いことを起こすためにはどんな手段でも取る。
演者は意識的に現象を起こしているのかも知れないし、無意識にやっているだけかも知れない。
そもそもこれはマジックなのか?超能力?何でもあり得る。

どちらの根拠を提示すべきか?

現象の根拠に関して2つの立場を書いたが、どちらの立場を取るのが良いのだろうか?
結論は、状況に応じて、より効果が大きい方を選ぶ。

そして、対応は柔軟にできる。例えば前者の、根拠が「何も無い」立場を取った場合、どうやって現象を起こしたのか観客が問い詰めてくるかも知れない。ここで下手にシラを切り続けるのは、マジックの種を必死に隠しているように見え、ダサい感じがする。
この場合、後者の「全てあり得る」スタイルに切り替え、現象の根拠をマジックの一般論として説明する。こういったことも可能だろう。

本質的には、2つのスタイルは同じだと思っている。どちらも現象の根拠について具体的には何も説明していない。

Conclusion

世の中には理屈で説明できないことがあるのかも知れないし、無いのかも知れない。だから、今起きた現象は理屈で説明できるのかも知れないし、できないのかも知れない。いずれにせよ、この現象は不思議で面白い。それで良いのではないか?
というのが自分が理想とするスタイル。