Blufflog

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Card Minded by Martin Gardner

現象

デックがシャッフルされ、そのデックを観客 A が 2 つのパケットにカットします。観客 A がパケットを 1 つ選び、その中から 1 枚のカードを自由に引いて覚えます。そして、そのカードをもう一方のパケットの中に入れます。観客のカードを含むパケットが観客自身によってシャッフルされた後に、観客 B がその中から 1 枚のカードを抜き出します。驚くべきことに、観客 B が抜き出したカードが観客 A の選んだカードです。

コメント

ある観客の選んだカードを他の観客が当ててしまうというプロットです。演者がカードを当てるという通常のプロットとは異なる点がまず面白いのに加え、演者がカードをほとんど操作しないことで不思議さが強まっていると思います。

そしてなにより、観客 B がカードを当ててしまう方法・原理がとても面白いです。

本手順では観客 B がカードを当てるわけですが、この理由の演出を考えるのも面白そうです。例えば、

  • 演者が自身の魔法の力を観客 B に授ける(そして演技終了時に忘れずに返してもらう)
  • 演者が観客 A の心の中のカードを読み取り、その情報を観客 B にテレパシーで伝える(または暗示をかける(ふりをする))
  • 観客 B が潜在的に持つ第六感を(一時的に)開花させる

などなど、面白い演出が色々考えられそうです。

なお、解説されている手順のコンセプトやコアな原理自体は非常に面白いものの、細部のハンドリング自体には微妙な点もあると思います。なので、実際に演じる際はその辺りを工夫した方がよいかもしれません。

収録文献

自分は Ted Annemann の『Annemann's Card Magic』で読みました。この本自体が『The Jinx』からの抜粋のようなので、『The Jinx』にも載っていると思いますし、マーチン・ガードナーの作品とのことなのでガードナー自身の本にも載っているかもしれません。

クトゥルー神話/ラヴクラフト作品についての簡単な感想(ネタバレ)

クトゥルークトゥルフ)神話/ラヴクラフト作品をいくつか読んだので簡単な感想を残しておきます。なお、いつも通りネタバレを含みます。

今回読んだのは以下の新訳 3 冊です。

クトゥルー神話ラヴクラフト作品に共通する要素として、「宇宙的恐怖(cosmic horror)」というものがあります。個人的に解釈すると、これは人類のアイデンティティクライシスの話だと捉えています。例えば人類は神のような存在を信仰し、キリスト教などにおける神は人類に対して(人間の愚かな目線からは)必ずしも友好的とは言えないにしても、人類という存在を他の動植物とは異なり特別視しています。しかしそもそも「神は妄想である」という現代的な考えに基づけば、神から特別な役割を与えられていない人類の存在意義・アイデンティティが揺らいできます。仮に人類の常識を超越した神的存在がいるにしても、その神的存在が人類に対して友好的でないばかりか、人類のことを虫けら以下としか捉えていない可能性は大いにあります。我々の世界における神的存在がこのようなものであった場合に人類のアイデンティティが揺らぐ感覚、これこそが宇宙的恐怖に相当するのではないかと考えています。

なお余談ですが、アメコミ『バットマン』に登場する精神病院アーカムアサイラムの元ネタが、ラヴクラフト作品に登場する架空都市アーカムだというのを今更知りました…。

ダゴン

クトゥルー神話ラヴクラフト作品入門に最適な作品だと思います。かなりの短編かつ、クトゥルー神話ラヴクラフト作品のエッセンスも凝縮されています。

神殿

制御不能になった潜水艦が何者かの力によって深海に引きずり込まれていき、人知れず沈んでいる太古の神殿と邂逅するお話です。不謹慎ながら、沈没したタイタニック号を見に行きたいという気持ちは正直分かる部分があるので、例の事故も他人事とは思えません。

マーティンズ・ビーチの恐怖

嬉しい UMA もの。

クトゥルーの呼び声

クトゥルー神話における基本設定は、基本的には本作が初出のようです。

クトゥルー神話を代表する邪神クトゥルーが眠る海底都市ルルイエの一時的な浮上が契機となり、芸術家など感受性の強い人間が世界中で同時多発的に不可思議な夢を見る、という設定が面白いです。ラヴクラフトは実際に自身が見た奇妙な夢をそのまま作品に反映することもあるようですし、夢というモチーフにこだわりがありそうです。

墳丘

『時間からの影』と並んで特に好きな作品です。

墳丘の頂上に男女のインディアンの亡霊が毎日現れる(しかも昼間も!)という設定がまず魅力的です。話の筋自体は、実際に墳丘に入っていくとそこには地下世界があり…、というラヴクラフト作品定番のものです。そしてその地下世界で怪異と遭遇して発狂する、殺される、命からがら逃げ帰る(が、後にやはり発狂または不審な死を遂げる)、というのがラヴクラフト作品の定番のパターンです。しかし本作では地下世界(異世界)へ行った後にそこで一応は受け入れられ、それなりに長期間生活を続けるという点が特徴的です。そしてこの地下世界での生活はホラーというよりディストピア SF 感が強く、なんだかジョン・ブアマン監督の『未来惑星ザルドス』を連想しました。

墳丘に関する恐ろしい噂話が多数語られ、多方面から墳丘の謎に迫っていく感じも怪談(というか『残穢』)的で面白いです。

インスマスを覆う影

これもラヴクラフト初心者にオススメできる傑作でしょう。恐ろしい何者かから逃げ、危険なインスマスから脱出できるか…という冒険要素はエンタメ的に分かりやすく面白いです。オチも良いですね。

エンタメ要素の強さからか何度か映像化されており、スチュアート・ゴードン監督『DAGON』(タイトルがなぜか「ダゴン」ですが…)や、日本映画『インスマスを覆う影』などがあります。どちらも未見なので見ておきたいところです。

永劫より出でて

シュブ・ニグラスの神官トヨグのミイラを解剖したら脳を含め体内の臓器が生きていた!という設定(というかオチ)がすこぶる面白いです。クトゥルー神話は、世の中の大多数を占めるまともな人間には信じられていない太古の神話と現実世界がリンクする瞬間が楽しいですね。本作はミイラという古代の遺物がこの 2 つをリンクさせる点が分かりやすいです。

挫傷

なぜか印象が薄い(?)です。

無名都市

爬虫類人間の遺跡を探訪する話です。やけに遺跡のサイズが小さいと思っていたら最終的にこの遺跡の利用者、支配者が(小さな)爬虫類人間だったというオチが、予想通りながらも楽しいですね。

猟犬

ユイスマンスの『さかしま』が引用されており、主人公たちが珍奇な物品を蒐集し自宅に飾るという点も『さかしま』的な作品です。

祝祭

個人的には印象薄めでした。

ピックマンのモデル

ゴヤの絵画『我が子を食らうサトゥルヌス』にインスパイアされたと思しき短編です。絵画がテーマということもあり、禍々しい何者かを視覚的にイメージしやすく、語りも主人公の独白形式なのでかなり読みやすい方だと思います。

本作は比較的最近に、Netflix ドラマ『ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋』の 1 エピソードとして映像化されているようです。これは見てみたいですね。

ネクロノミコン』の歴史

タイトル通りです。物語上の表面へ出さないにしても、物語の背景となる詳細な設定はできるだけ詳しく設定してある作品が自分の好みです。

往古の民

これもちょっと印象が薄いですが、歴史もののような印象です。

ダンウィッチの怪

主人公たちが怪異に真っ向から立ち向かい、恐らく一時的とは言え、ラヴクラフト作品では珍しく一応の勝利を見るという結末です。アーミテッジ博士が有能すぎです。

アロンゾ・タイパーの日記

これも印象薄めですかね。しかし人間的理性では拒否するような行動を無意識的にとってしまうというか、おぞましい定めから逃れられないというのは良いですね。

ランドルフ・カーターの陳述

シンプルな短編。『ピックマンのモデル』と同様に主人公の独白形式です。最後の台詞が普通に日本語(英語)で意表を突かれました——

“YOU FOOL, WARREN IS DEAD!”

エーリッヒ・ツァンの音楽

邪悪な音楽を題材にした作品。視覚的な禍々しさでなく、邪悪なものと共鳴する禍々しい音楽というテーマはやや異色かもしれません。とはいえ音楽的禍々しさを文章で表現するのはなかなかに難しそうでもあります。

本作はクトゥルー神話体系の一部というより、独立した一編の怪奇小説といった趣です。

狂気の山脈にて

これも有名な傑作ですね。個人的にはやや冗長に思う箇所もなくはないですが、当然面白いです。南極という深海と並ぶフロンティアにて未知の超巨大山脈を発見し、神話上の存在である「古のもの」の化石を発見し、しかもその中の一部は実はまだ生きていて…と、どう考えても面白い設定がもりだくさんです。人間と犬が古のものに解剖されてしまうというのも素晴らしいです。

当初は「古のもの」こそが恐ろしい敵と思われていましたが、後に真に恐ろしい敵はショゴスであり、主人公ダイアーが「古のもの」を怪異というより「人間」とみなすという展開は意外でした。

ちなみに本作自体は映画化されていないものの、『遊星からの物体 X』と『プロメテウス』はほぼ狂気山脈の映画化といって差し支えないような内容です。

時間からの影

今のところラヴクラフト作品で一番好きかもしれません。

本作では人類誕生以前の太古の地球を支配していた巨大な円錐型種族「イースの大いなる種族」が登場します。この種族は未来や過去に存在する他の生物個体の肉体と強制的に精神を交換する技術を持っています。主人公のピースリー教授は、自身が記憶喪失になっていた期間に太古の大いなる種族の一個体と精神を入れ替えられていたのではないか…という展開です。

『墳丘』などと同様に、現代人より遥かに高度な知能を持つ異性人の生活を探訪するという設定が非常に面白いです。また本作は何より、精神交換されていたピースリー教授が、太古の地球で大いなる種族の肉体に囚われていた際に記した手記を、現在のピースリー教授がオーストラリアの砂漠にある遺跡の中で再発見する部分が最高です。その手記に書かれた自らの筆跡のアルファベットを再発見するという部分は非常にパラドキシカルな面白さがあり、鳥肌ものです。

本作は、ピースリー教授の精神交換や遺跡探索が本当に起きた現実なのかどうかが曖昧なまま終わります。しかしラヴクラフト作品を読んできた読者であればピースリー教授の体験が現実かどうかはよくご存知のことでしょう。そしてそのような現実は我々の身の回りにも…。

P.S.

ラヴクラフト以外の手に成るクトゥルー二次創作では、『サイコ』原作者ロバート・ブロックの『アーカム計画』あたりが気になるので、今度読んでみようと思います。

note でマジック(手品)に関する記事を販売しています

note でマジック(手品)に関する記事をたまに販売していこうと思います。

当ブログでも時々マジックに関する記事を書いていますが、無料で全世界に公開されているブログ上でマジックの裏側というか秘密に触れないよう記事を書くのは難しいという事情がありました。そこで、数百円程度の安価にはなると思いますが、記事の有料販売が可能な note でマジックに関する記事を書こうと思った次第です。

現時点では「マジック用財布の基礎知識と商品レビュー」という記事を販売しています。 もしよければご購入いただけますと幸いです。

なお、note にて私のアカウントをフォローいただくと新しい記事が投稿された際に通知を受け取ったりできると思うので、こちらもよろしければご活用ください。

重力と恩寵(シモーヌ・ヴェイユ)

たとえこの身が泥の塊となりはてても、なにひとつ穢さずにいたい

シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵1 を読みました。ざっくりとメモ。

  • 現世で人間が生きていく上で、人間の魂を貶める様々な「重力」が働く
  • 真の善行により作られた真空状態に「恩寵」が入り込む。これが重力による穢れをまぬかれる唯一の道
  • 現世利益や死後の極楽などの見返りを求めずに善自体を目的として善きことをするのが善(たぶん。手段と目的の話?)
  • 社会的に善とされているものは悪の反対の相対的な善。これは真の(超本性的かつ絶対的な)善とは異なる
  • あらゆる安易な道を否定し、究極にストイック(現世での成功や快適な来世などを得るための手段としてのストイックさとは全く異なる)
    • 十字架を捧げものの視点からのみ構想する人びとは、十字架に含まれる救いをもたらす神秘と苦々しさとを拭いさる。殉教を願うなどまだまだ生ぬるい。十字架は殉教を無限にこえる。(159p)

  • 知性(科学など)では到達し得ない超本性的(不可知論的)な領域がある。超本性的な領域と知性で説明可能な領域とを正しく峻別するために、知性は厳密であらねばならない
    • 知性は秘儀の深奥に入りこむことはできない。しかるに知性は、というより知性のみが、秘儀を記述する語の妥当性を判断しうる。知性は、他のいかなる任にもましてこの任をまっとうするために、いっそう射抜くがごとく鋭く、いっそう精確さと厳密さをきわめ、いよいよ決然たる要請を突きつけねばならない。(227p)

  • 無知蒙昧な宗教的盲信(迷信)よりは無神論の方がマシ。宗教に対し懐疑の眼差しを向け、神の不在を認識した上でそれでもなお善く生きるべき(これが超本性的な意味で神を信仰することと同じなんだと思う。たぶん)
    • キリスト教の養成をうけた人びとにあっては、魂の低劣な部分がまったく資格がないにもかかわらず、これらの秘儀に厚かましくも愛着をよせたりする。だからこそ彼らには浄化が必要である。その諸段階については十字架の聖ヨハネが詳述している。無神論や不信心はこの浄化の等価物たりうる。(p225)

  • ローマとイスラエルを(プラトンの)巨獣として批判
    • 巨獣の特徴:本性的(非超本性的)、社会的(非個人的)、偶像崇拝的(ヴェイユの想定する神への信仰に反する)、重力的
  • 熱い(古代)ローマ批判
    • ローマ、それは自身のみを崇拝し、無神論唯物論に染まった巨獣である。(278p)

    • 古代の民のなかで完璧なまでに神秘を欠くおそらく唯一の民、すなわちローマ。(278p)

  • 同性愛も強く批判している辺りはわりと保守的(?)、というか異性愛が OK(?)で同性愛を NG とする理屈が分からなかったので気になる
    • ところで、ヨーロッパにおける過去二〇世紀の歴史を振りかえると、他の文明に負けず劣らずの瑕疵が容易にみつかる。アメリカ大陸を虐殺により、アフリカ大陸を奴隷制により荒廃させ、南仏を度重なる殺戮により蹂躙した。これらはギリシアの同性愛の風習、ギリシアやインドの乱痴気騒ぎの祭儀に文句なく匹敵する。(236p)

  • 東洋思想その他の様々な哲学や思想の影響は感じつつも、ベースはやはりキリスト教的思想を強く感じる。しかし旧約聖書の登場人物については一部を除いて批判的。恐らく現世利益的で、ユダヤ人以外の他者を平気で侵害する辺りが駄目っぽい。旧約ではヨブ記とかは好きそう
  • 「38. 社会の調和」は比較的現実に即した抽象度の低い話なので、ある意味読みやすいかも(?)
  • 訳者の冨原眞弓さんによるあとがきでは、本校訂版の編集方針およびその意図がしっかり書かれており好印象。そして何よりヴェイユへの熱い想いが伝わってきてとても良かった
  • 他にも色々とあるが一旦ここまで

ディレクトリ構造を維持したまま FLAC を ALAC や MP3 に変換する

結論

これを実現する convertflac という CLI を作りました。

brew install ffmpeg # FFmpeg をインストール。インストール済みなら省略
pip install convertflac
convertflac <入力 FLAC ファイルのあるディレクトリのパス>

FFmpeg コマンド

to ALAC (Apple Lossless Audio Codec)

ffmpeg -i <入力 FLAC ファイルのパス> -codec:a alac -codec:v copy -n <出力 ALAC ファイルのパス>.m4a

to MP3 320kbps CBR

ffmpeg -i <入力 FLAC ファイルのパス> -ab 320k -codec:v copy -n <出力 MP3 ファイルのパス>.mp3

コマンド解説

オプション 説明
-i <入力 FLAC ファイルのパス> 入力ファイルのパスを指定
-ab 320k 音声データのビットレートを 320kbps に指定
-codec:a alac 変換先コーデックを ALAC に指定
-codec:v copy アルバムアートワーク画像を変換せず維持(参考
-n ファイルを上書きしない

FFmpeg インストール方法

macOSLinuxWindows Subsystem for Linux (WSL) など Homebrew が使える環境の場合、以下のコマンドで簡単にインストールできます。

brew install ffmpeg

Homebrew をインストールしていない場合は公式サイトの指示に従いインストールしてください。

Windows など Homebrew が使えない環境の場合は WSL を使うのがお勧めです。しかしそれができない、またはしたくない場合は FFmpeg 公式サイトの指示に従い FFmpeg をインストールしてください。

背景

ストリーミング全盛の今、FLAC ファイルを ALAC や MP3 に変換する需要は少ないと思います。しかし、ストリーミングなどでは配信されていない楽曲も多数存在するため、CD 音源データの管理は未だに必要だと思います。

リッピング(取り込み)した CD 音源データをどのように保存するかですが、個人的には、

  1. ロスレス可逆圧縮
  2. メタデータを多数保持できる
  3. ベンダーロックインのリスクが低く広く使われている

という 3 点から、FLAC 形式で保存するのがお勧めです。

ではなぜ FLAC を ALAC などに変換する必要があるのかということですが、これは Apple のせいです。

iPhoneMac のミュージックアプリ(旧 iTunes)では FLAC オーディオファイル再生に非対応です。もちろん FLAC 再生に対応している他の音楽再生アプリを使うこともできます。しかし、iPhoneMac の連携など Apple 製品のメリットを最大限享受するにはやはり純正のミュージックアプリを使いたいところです。

そこで、Apple のミュージックアプリでも扱えるように FLAC で取り込んだマスターのファイルを ALAC に変換して、Apple 製品上では ALAC ファイルを扱いたいと考えました。

また、FLAC と ALAC のどちらにも対応していない環境を利用する場合や、データ容量を節約したい場合もあるかも知れません。その場合は FLAC を MP3 に変換するのが良いと思います。AAC でも良いのですが MP3 の方がより汎用的だと思います。

MP3 は非可逆圧縮なので音質の低下というデメリットがあります。音質とデータサイズのバランスを取る意味で、個人的には MP3 320kbps CBR に変換するのが多くの場合で最適だと考えています。

FLAC を ALAC や MP3 に変換する場合、FFmpeg を利用する方法が有名だと思います。しかしこの方法には 2 つの課題があります。

  1. FFmpeg のオプションなどを覚えて毎回入力するのが面倒
  2. ディレクトリ構造を維持したバッチ処理が面倒

課題 1 は説明不要だと思うので、「課題 2. ディレクトリ構造を維持したバッチ処理が面倒」という点について説明します。

リッピングした FLAC ファイルは <アーティスト名>/<アルバム名>/<曲名>.flac のようなディレクトリ構造を持っていることが多いと思います。このような FLAC データのディレクトリ構造を維持したまま FFmpeg で変換するには恐らくシェルスクリプトなどを駆使する必要があり、なかなか面倒です。

そこで、これらの課題を解決する convertflac を作りました。

convertflac

convertflac は Python 製の CLI で、入力 FLAC オーディオデータのディレクトリ構造とメタデータを維持したまま ALAC や MP3 に変換します。

今回初めて PyPIPython パッケージを公開してみたのですが、以前のややこしそうなイメージよりはだいぶ分かりやすくなっていたように感じました。パッケージに関するメタデータは基本的に全て pyproject.toml 1 つで完結し、setup.pysetup.cfg などは不要です。ビルドにも wheel コマンドは不要でした。python -m build のように Python Packaging Authority (PyPA) が提供する build モジュール経由でビルドできます。アップロードには同様に PyPA 提供の twine を使いました。(あとは全て pip コマンドで完結するとより分かりやすい気がしますが…)

ストリーミング全盛の今、需要は少ないとは思いますが、必要な方がいらっしゃいましたらご自由にご利用ください。

Out Of This World(アウト・オブ・ディス・ワールド)

Out Of This World (OOTW) はカードマジックの傑作で、1942 年に Paul Curry が発表しました。Curry の原案は冊子『Out of this World』で読めます。また、邦訳が『図解 カードマジック大事典』『カードマジック事典』に掲載されています。

現象は次の通りです。

観客がカードの表を見ずに赤だと思うカードと黒だと思うカードを分けていきます。最後に表を見ると全て観客が予想した通りに赤と黒に分かれています。

非常に効果的な現象で、それを実現する原理もまた素晴らしいです。ほぼ全ての操作を観客自身が実行するので怪しさが皆無に等しく、現象も分かりやすいです。このような現象がレギュラーデック 1 組で実現できるので文句なしです。

敢えてデメリットを挙げるとするなら、この手順には準備が必要という点でしょう。とは言えこの準備自体も比較的楽な部類です。Lennart Green の Angle SeparationWoody Aragon の Separagon などを使えばルーティンの合間に準備できます。

Roberto Giobbi の 『Card College Light』 に掲載されているように、Juan Tamariz の T.N.T. (a.k.a. Neither Blind Nor Silly, Neither Blind Nor Stupid)などの手順から繋げるのもスムーズです。他にも Pit Hartling の Chaos などから繋げることもできます。

そうは言ってもやはり準備が必要なのは面倒ということで、即席で OOTW を演じるバリエーションも発表されています。中でもクラシックだと思うのが高木重朗氏の『奇術入門シリーズ カードマジック』に収録されている手順です。この手順では観客がデックをシャッフルした状態から演技を始められます。この手順は即席で演じられる点以外にも、観客が赤黒を選別するカードの枚数が少なく、演技が間延びしにくい点や、選別に使わなかった残りのデックが赤黒バラバラであることを示せる点などのメリットもあります。単に実用的なだけに留まらない素晴らしい手順です。

(しばらく細かい話が続きます。興味ない方は読み飛ばしてください)

本書ではこの手順を U.F. Grant による改案と記載していますが、具体的な引用元を明示していません。本書は絶版ということもあり、この手順を解説している一次資料を把握しておきたくなりました。そこでこの資料を探すべく U.F. Grant の即席 OOTW を調べたところ、『Nu Way Out Of This World』 という冊子が見付かりました。これを読んでみたところ、確かに『奇術入門シリーズ カードマジック』の OOTW を即席にするための最も本質的なアイデアは含まれていました。しかし、『奇術入門シリーズ カードマジック』の OOTW に見られたハンドリングの工夫が Nu Way Out Of This World には含まれていませんでした。つまり、『奇術入門シリーズ カードマジック』の OOTW の引用元は別にありそうです。

そこでその引用元を探すべく色々と調べていたのですが、その中で気になる情報が 2 つありました。

  1. Conjuring ArchiveOut of this World & Variants のページ上で「grant」と検索すると、Harry Lorayne の名前と共に Impromptu Out of this World という手順が掲載されていました
  2. 『奇術入門シリーズ カードマジック』の巻末には非常に簡素なものですが参考文献が掲載されています。その中に Harry Lorayne の『Close-up Card Magic』がありました

この 2 点から、『奇術入門シリーズ カードマジック』の OOTW に Harry Lorayne が関係していると推測しました。まず、Conjuring Archive で『Close-Up Card Magic』のページを見てみました。そのページ上で「out of this world」と検索すると、Out of this Universe という手順がヒットしました。しかし YouTube にアップロードされている Out of this Universe の演技を見る限り、『奇術入門シリーズ カードマジック』の OOTW とは全く異なるように見えます。

そこで今度は Conjuring Archive の Out of this World & Variants のページにある Impromptu Out of this World を調べてみました。この手順は Harry Lorayne の『My Favorite Card Tricks』に掲載されているようなので読んでみました。するとそれは探していた『奇術入門シリーズ カードマジック』の OOTW に非常に近いもので、細かいハンドリングに違いはあるもののほぼ同じと言って良さそうでした。ただ気になる点として、『My Favorite Card Tricks』では U.F. Grant への言及が一切なく、『奇術入門シリーズ カードマジック』が U.F. Grant の改案と書いているのが何を根拠としていたのかは依然として不明です。

何にせよ、『My Favorite Card Tricks』に掲載されている Impromptu Out of this World が素晴らしい即席手順であることは間違いないです。この OOTW を演じる上での tips もいくつか書かれており、これがまた有益です。特に「下手なことをするくらいなら何もしないほうがマシ」的な記述には強く同意します。

(細かい話終わり)

最後に OOTW を解説した映像についても軽く触れて終わります。これは無数に存在すると思いますが、敢えて 1 つ挙げるなら『World's Greatest Magic - Out of This World』だと思います。紹介しておきつつ未見なのですが、収録されてる演者のメンツ的に間違いないと思います…。

P.S.

今、個人的に気になってる OOTW は Kiko Pastur の Without this World です。

マンダロリアンにもやもやしています

先週水曜 3 月 1 日に『マンダロリアン シーズン 3』の配信がディズニープラスで始まりました。

個人的にマンダロリアンで好きだった点のかなりの部分に次の 3 点がありました。

  • マンドー(ディン・ジャリン)が素顔を見せない
  • スター・ウォーズの主要キャラがほぼ出てこない
  • マンドーとグローグー(ベビーヨーダ)の渋い関係性

S3 開始時点では既にこれらの美点がほぼ全て損なわれてしまっているように思います。

  • S2 でマンドーが素顔を晒してしまった
  • S2 最終話で最重要キャラのルークが出てしまった
  • マンドーがグローグーに対して甘々になってしまった(もちろん同人作品なら何の問題もないのですが)

その上で S3E1(シーズン 3 エピソード 1)では、カルト教団の掟を破った罪を贖うために温泉へ浸かりに行くという話になっていて、それって面白い?カルトの掟とかどうでもよくない?という気持ちになっています。

E1 は一話完結でなかったのも微妙に思いますし、そもそも別のドラマシリーズである『ボバ・フェット』も見ていないと S2 から話が全く繋がらないのもどうかと思います。

といった感じで今はマンダロリアンにもやもやしています。

実はこのもやもやは今に始まったことではなく、S1 最終話で『ターミネーター 2(T2)』的展開が入ったときから始まり、S2 最終話でポルノ的にルークを登場させた時点でもやもやはかなり強まっていました。そのもやもやが S3 で限界を迎えつつあるといった感じです。

とは言え今後の展開次第では掌を返すかも知れません。期待せず見ていこうと思います!

追記(2023-03-09)