かなり限定的なテーマについて、極めて個人的な意見を述べます。
今回は、「種明かしはマジックの不思議さを楽しむ機会を観客から奪うから悪いのか?」という問いに回答したいと思います。気のせいかもしれませんが、マジシャン、ノンマジシャン問わずこのような意見をおっしゃる方を見かけることがある気がします。
結論からいうと、この問いに対する自分の回答は「いいえ」です。
自分の感覚では、マジックを観た観客は、そのマジックの種を知りたいと感じるのが自然だと思います。もちろん性格や好みは人それぞれなので、種を知るより不思議を楽しみたいと心から思う観客もいるでしょう。しかし、これはあくまで自分の肌感覚ということを強調しますが、不思議さを楽しみたい気持ちより種を知りたい好奇心が強いという感覚の方が一般的だと思います。少なくとも、最初から種を知りたいとは思わないが、まずマジックの演技を見て不思議さを味わった後は、種を知って自分が見た現象について納得したい、という感覚を持つ人はかなり多いのではないでしょうか。
仮にこのような感覚が一般的だと仮定します。ここであるマジシャンが、「種明かしはマジックの不思議さを楽しむ機会を観客から奪うから悪い」と主張したとします。
これは一見、観客のためを思った意見に見えます。しかし仮に、観客は不思議さより種を知りたい気持ちの方が強いのだとすると、この意見は観客のためになっていないかもしれません。
また、まずは演技を普通に見て不思議さを味わった後で、種を知って好奇心を満たしたい、という観客がいたとします。もし、この観客がマジックの演技を見る前に種明かしに触れてしまうと、この観客が不思議さを楽しむ機会が奪われることになります。しかし、この観客がマジックの演技を見た(不思議を味わった)後であれば、この観客に対する種明かしはこの観客から楽しみを奪うことにはなりません。
よって自分は、種明かしはマジックの不思議さを楽しむ機会を観客から奪うから悪いとはいえないと考えます。種明かしが悪いという主張については肯定も否定もしません。しかし、種明かしが悪いという主張の根拠として、観客の不思議さを奪うという点を挙げるのは適切ではないと考えます。
マジックの不思議さを観客から奪うという点を種明かしが悪いことの根拠に使えないとすると、どのような根拠であれば種明かしが悪いと主張できるのでしょうか?あるいは、そもそも種明かしは別に悪いことではないのでしょうか?
これらの問いに明確に答えるのは難しい面もあるのですが、少なくとも自分は種明かしをしたいとは思いません。しかしその理由は、観客が不思議さを楽しむ機会を守るため、のような、観客を慮ったものではありません。自分が種明かしをしたくないのは、種を知りたいという観客の気持ちより、不思議さを他人にぶつけたい(不思議さで他人を殴りたい)という暴力的で自己中心的な欲求を優先したいからです。
先述のとおり、観客の気持ちを素直に慮ると、種を知りたい観客には種明かしをするのが親切ということになりかねません。しかし、種明かしをしないマジシャンというのは不思議さを押し付けるだけ押し付けて、不親切にも種を明かさずに去ってしまいます。そして、それで構わないのだと思います。このようなある種の押し付けというのは、マジックに限らずあらゆる表現にとって極めて重要なものです。逆に、顧客や観客のニーズ(要望)に応じる代わりに美学や思想などを押し付けない表現は、資本主義・市場経済における商品としての価値は高いかもしれませんが、表現としての価値は非常に低いでしょう。マジックの種明かしがメディアにおいて PV や視聴率を稼げるのもこれに由来すると思います。
種明かしでない部分のマジックの価値を信じる者としては、種を知りたいという観客の声に耳を傾けることなく、ただひたすらに不思議さで観客を圧倒していくことを目指すべきだと思います。