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アナーキー・国家・ユートピア

ロバート・ノージック著『アナーキー・国家・ユートピア1(原著 2)が面白かったので簡単にその感想を書いてみる。

最初に書いておきたいのは、本書は政治哲学の本でありイデオロギー(政治思想)の本ではないということだ。あくまで哲学的探求・論理パズルとして楽しめるので読者のイデオロギーに依存しない。本書の論理展開はほぼジョン・ロック的な自然権のみを前提としておりどのような形態であれ国家を前提としないため、ここでのイデオロギー対立は生じない。逆に言うとロック的な自然権を否定する読者からするとイデオロギー的に対立すると言えなくはないが、そのようなケースは稀だろうし、仮にこの前提を否定するにしてもその後の論理展開自体を楽しむことは可能だろう。個人的にも政治哲学的な結論よりも論理展開の過程そのものを面白く感じ、大いに啓蒙された。

本書は三部構成になっており、第一部では、人間各個人が自然権のみを持ち国家が存在しない自然状態からスタートする。ここから誰の自然権も侵さずに最小国家が正当に成立し得ることを示す。ここで言う最小国家とは各個人の自然権を守るための夜警国家的なものであり、現実に多く存在するような財の再分配を行う拡張国家(福祉国家)のような機能は持たない。第二部では、国家の権限としては最小国家の範囲までが道徳的に正当化できる限界であり、拡張国家は正当に成立し得ないことを示す。具体的にはジョン・ロールズの『正義論』における正義の二原理を批判することで拡張国家を正当化できないことを示す。第三部では、これまでの議論と独立して人類の理想社会であるユートピアはどのような姿かを探る過程で、最小国家こそがユートピアであることを示す。厳密には、最小国家ユートピアの枠(メタ・ユートピア)になり得るということである。これにより、第一、二部とは独立した別方面からも最小国家を擁護する結論が出たことになる。

本書はロールズ的な財の再分配を批判し権原理論の正当性を主張する。権原理論では歴史的に正当な手続きを経て得た個人の財はその個人本人の私有財産であり、再分配のために強制的に国家に奪われない。
しかし、現在の社会における財の配分が権原理論において歴史的正当性を持つことを示すのは困難であり、これに起因する問題として例えば子供の格差は深刻ということがある。このような状態を是正するために一時的に再分配的な政策が必要になることを本書では否定してはいない点が興味深い。例えば、配分が正義に適う(あるいはそう近似できる)状態に是正されるまでリベラル的な再分配を実施し、正義に適う配分に達した時点で国家の権限を縮小し、最小国家の下でのリバタリアニズム(ミナキズム)的個人主義に転換するという可能性は開かれている。最小国家の下で権原理論の正当な状態が崩れ格差が不当に拡大することを避けられないとすれば、この拡張国家による再分配 → 最小国家の過程は繰り返されるのかも知れない。この極限が収束するのか振動を続けるのかは定かではない。

本書の内容に関連して、今なら COVID-19 パンデミック感染症対策を理由に国家が個人の権利を制限(侵害)することは道徳的に正当化できるのか?できるとしたらその根拠は?正当化できるとしてどこまで正当化できるのか?その根拠は?などを考えてみるのは啓発的ではないだろうか。

道徳的立場から正当化できる国家、あるいはメタ・ユートピア最小国家という本書の立場は、基本的に市場原理に任せる超個人主義と言って良いだろう。これは一見リアリスト的で理想論に対して冷笑的に見えなくもないが、次のような記述もあり理想的なユートピア論を冷笑していない点が良い(これは偏見かも知れないが、 教養を持ち現実をよく知る人が理想を軽視し、冷笑的になってしまうケースがありがちな気がする。理想を笑わず真摯に追求し、現実との乖離を測定し、その乖離を埋める努力を続けることはとても重要だと考えている。「現実はこうだからそんな理想論言ったってしょうがない」的な論法は間違っている。少なくとも常に正しいとは限らないということは言っておきたい)。

私が構成要素であるコミュニティーの具体的性格を何ら提起しなかったのは、それをすることが重要でないとか、相対的に重要性が低いとか、つまらないとか(と私が考えている)と言いたいからではない。どうしてそんなことがあり得ようか。我々は、具体的コミュニティーの中で生きるのである。ここでこそ、人の理想的社会または善き社会についての非帝国主義的見解が提起され実現されるべきなのである。我々にこれを許容してくれることが、枠の存在意義なのである。望ましい具体的性格をもつ具体的コミュニティーの創造へと駆り立て鼓舞するこのような様々のヴィジョンなしでは、枠は命を欠くことになろう。多数の人々の具体的ヴィジョンと結合することで、枠は我々に、すべての可能的世界の中で最善のものを得ることを可能にしてくれるのである。

([1] pp. 538)


  1. ロバート・ノージック著,嶋津格訳,『アナーキー・国家・ユートピア 国家の正当性とその限界』,1995 年.

  2. Robert Nozick, Anarchy, State, and Utopia, 1974.