当記事は学術的、科学的、医学的に正しい情報を提供するものではありません。Web 上の情報のスクラップブック的な位置づけの記事だとご理解いただくのが良いと思います。強いて言えば、文化、芸術、あるいは哲学寄りの話だと思います。一応、随時更新予定です。
タナトフォビアとは?
死恐怖症(しきょうふしょう、英語: death anxiety)は、死の観念によって引き起こされる不安の症状。「ひとが死に至る過程や、存在することが止まることについて考えるときに認識され、心配になるという死の感覚 (feeling of dread, apprehension or solicitude (anxiety) when one thinks of the process of dying, or ceasing to 'be')。
引用元:死恐怖症 - Wikipedia
表記揺れ
Web 上の日本語テキストでは「タナトフォビア」表記をよく目にする印象がありますが、以下のような表記もあるようです。
- 死恐怖症
- death anxiety
Wikipedia
上記の他、計 20 言語で死恐怖症(タナトフォビア)の記事が存在するようです。平均値は分かりませんが、先端恐怖症の Wikipedia ページは 17 言語存在するのでそれよりは多いです。よって雑に言うと、タナトフォビアは先端恐怖症と同等かそれ以上にグローバル規模でメジャーな概念と言えるかも知れません。
5 ちゃんねる(2ch)
5ch のメンタルヘルス板(メンヘラ板)に「■■■死恐怖症(タナトフォビア)<スレ数>棺目■■■」というスレタイのスレッドがあり、最新は 40 スレ目の ■■■死恐怖症(タナトフォビア)40棺目■■■ です。
スレッドテンプレ
タナトフォビアとは死そのものや死に関連するものに対する恐怖症のことです。
このスレにはこんな人たちがいます。
- 意識の喪失による無が怖い人
- 死に伴う孤独や痛みが怖い人
- 悲惨な目や災害にあって死ぬのが怖い人
- 生や死そのものの不可解さが怖い人
- 死んで人から忘れられるのが怖い人
- 永遠が怖い人
- 身近な人の死が怖い人
- 生きる事やこの世の全てが無意味に感じるのが怖い人
これらのことを考え出すと思考が止まらなくなり、恐怖・発狂恐怖に陥る人。タナトフォビアの類義語としてネクロフォビアがあります。
しかしタナトスはもともと死を擬人化した神の名を、ネクロは死体を指すので、
ネクロフォビアというと死体、つまり他者の死を意味するときに使う習慣もあるようです。
(ただし海外では同義語として扱われています。)
スレッド非公式(?)テンプレ
軽く確認したところ、35 スレ目まではテンプレ的に書き込まれていましたが、36 スレ目以降のスレでは書き込まれていないようです。よって仮に非公式テンプレとして扱いますが、これら一連のスレッドの思想などを象徴する文章だと思うので掲載しておきます。
■解決方法
どれも完全な解決方法ではありません。
前スレまでに書かれていたことなど。(1)精神疾患の一種(強迫性障害・不安神経症の延長?)だと思われるので、精神科を受診し、処方された薬を飲む
(2)時間的余裕をなくす(時間があると余計なことを考えてしまうため)
(3)子供を作る(理由的には同上)
(4)気休めになる言葉や本を探す
解決方法の
(3)子供を作る、ですが、
子供もタナトになる恐れがあるのでオススメできないと思います。
実際に、子供作ったけど子供もタナトになってしまったと
言っていた方が過去スレにおられました。
611 名前:優しい名無しさん[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 10:59:48 id:wwYsQ6Ob
このスレを見てるとタナトフォビアには2種類あるな一つは慢性的タナトフォビア
死に対する恐怖が常に付きまとい、倦怠感や疲労感、 無気力状態になるか
あるいは暗鬱で絶望的な気分になったり、悲哀や悲壮感に包まれる。
酷い場合は毎日死について考え、常に精神的苦痛を感じている場合もある。
夜や寝る前は特に症状が酷くなるため、寝たらそのまま目覚めないのではないか、などの不安が頭をもたげたり
恐怖感や不安によって心が休まらず眠れなくなるなどして睡眠障害や不眠症を引き起こす場合もある。
よって症状が重ければ重いほど必然的に日常生活に支障をきたし、死が頭から離れなくなり
常に憂鬱でやる気が出なかったり不安に悩まされることから、鬱病に近いもう一つは発作性タナトフォビア
死に対する恐怖やイメージが瞬間的に増長してあるレベルに達したとき一種のパニック発作状態に陥る。
やはり起こる頻度に伴わずタイミングは夜や寝る前であることが多い。
症状としては発作が起きると同時に精神的苦痛と恐怖を伴いながら動悸が激しくなり
じっとしていられなくなってベッドから飛び起きたり椅子から立ち上がったり、酷い場合は叫ぶこともある。
それらの症状は大抵長くても1分程度で収まり、一度発作が起きれば次の発作がくるまでは安静である。
発作の来るタイミングは個人差があり不定期で、年に数回の人も居ればほぼ毎日発作が起きている人も居る。
日常生活については、症状が軽い場合や寝る前のみの場合は基本的に問題ないが
重い場合は公共の場や会社・学校で発作が来ないかという不安が付きまとうことから、パニック障害に近い。もちろん、この二つを併発している場合もある
315 : 優しい名無しさん 2016/07/24(日) 17:08:59.45 id:vM8Zi/eo
普通の一般人が、末期ガンでベッドの上で死を待つ状態になったり
ISISに拉致られて数分後に首を切り落とされる状態の時に感じている死の恐怖を、
四六時中感じているのがタナトフォビアという病
死の直前になって初めて意識するような恐怖を常に意識しながら生きている
それは宛ら、何も罪を犯していなければ牢にも入っていない死刑囚の如し
娑婆にいても死への恐怖心は何時執行されるとも知れない処刑を待つ身と変わらないタナトじゃない一般人は大袈裟にも程があると笑い飛ばすが、
こればかりはタナトを発症した人じゃないと絶対に理解して貰えないと思う319 : 優しい名無しさん 2016/07/24(日) 22:51:36.71 id:dJu5pmqg
>>315
これテンプレにしていいくらい完璧な代弁私達の脳はどうしちゃったんだろうね
何でこんなに死に取りつかれているんだろう…
さっき真田丸で豊臣秀吉が「死にたくない」って喚いているのを見て自分と重なったわ
関連書籍
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版(シェリー・ケーガン):既読
うろ覚えなので間違ってるかも知れません。
- 少なくとも無宗教、無神論的には、死の定義からして死後に「私」が死を意識することはできないので、死という状況そのものを当事者的に怖がることはできない。いま生きている「私」がいずれ死ぬということを思うことが怖い(これは別の本で読んだ話だったかも…)
- 今後拷問を受け続けることが確定している場合など、生きているよりも死んだ方が利得が高い(マシな)場合もあり得るので、必ずしも死は悪いものとは言えない
- また、永遠に生きなければならない(死ねない)とすると、それはそれでやりたいことが完全になくなって、文字通り生き地獄的な苦痛になり得る。この場合は死が救いになるので、やはり必ずしも死は悪いものとは言えない
- しかし、「私」がやりたいことの量に対して人間の寿命(長くても 100 年ちょっと)が短かすぎ、死ななければ本来できたかも知れないことをできずに寿命を迎えるということは大いにある。つまり、死までの猶予が短かすぎるという点において死が悪いということはあり得る。そしてこれが死の恐怖に繋がり得る
存在消滅 -死の恐怖をめぐる哲学エッセイ-(高村友也):未読
「いつか死んでしまう」という事実を前に、どのように生きていけばいいのだろうか——。
生まれてこない方が良かった―存在してしまうことの害悪(デイヴィッド・ベネター):未読
- 反出生主義の有名な本
- タナトフォビアそのものを扱っているわけではなさそうだが、そもそも生まれてこなければ死の恐怖を感じることもなかったので関連は深そう
不老不死クエスト タナトフォビアの処方箋(タナトフォビア&不老不死 研究会):未読
- 同人誌っぽいが、タイトルがそのものズバリなので一応リストアップしておく