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回路 小説版(黒沢 清)

……もしも……死んでもひとりだったらどうする?

今回は黒沢清の『回路』1 について。映画 2 でなく小説版について書くが、本質的にはほとんど共通する。映画の『回路』については別の機会に書こうと思う。

回路の世界では、人は死後、魂(意識)だけの存在となり永遠の時間の中を他者と触れ合うこともできず完全に孤独に過ごすことになる。死者の永遠の孤独。これがいかに恐ろしいものかは語るまでもないだろう。あるとき、ふとしたきっかけからこれら死後の世界と現世が接続する(「回路」が開く)。もう一度「生きる」ために死後の霊魂は現世で生きる人の前に姿を表す。生者から見て、これはまさに幽霊の目撃に他ならない。現世の生者の前に姿を表した幽霊はその人にある啓示を与える。それは彼ら死者が経験した通り、死後に人は永遠の孤独に閉じ込められるという事実だ。人は必ず死ぬ。そしてその死後には永遠の孤独が待っている。これを絶望と呼ばずに何と呼ぶか。幽霊を目撃しこの事実を知ってしまった人は絶望し、次の 2 つの選択肢から 1 つを選ぶことになる。

  1. 消えて無くなり「無」となる
  2. 自殺し、幽霊になり永遠の孤独に閉じ込められる。その後、回路を通って「生き返る」機会を待つ

消えて無くなり「無」となる

の場合、意識・自我の喪失の恐怖がある。死んで無になってしまうと楽しい思いをしたり物事を考えたりできなくなる。そもそもそういうことができないということを認識することすらできなくなってしまう。無になってしまえば意識が無いという恐怖を感じる主体も消滅するから何も怖くないのでは?という考え方もあるだろうが、無が怖い人にとっては主体の消滅自体が怖いのである。共感できるかは別としてどうしても詳しく理解してみたい場合は「タナトフォビア」・「死恐怖症」・「death anxiety」などで調べてみると良いだろう。生の声は 5 ちゃんねるTwitter などで知ることができる。タナトフォビアについては別の記事でも書いてみようと思う。

一方、

自殺し、幽霊になり永遠の孤独に閉じ込められる。その後、回路を通って「生き返る」機会を待つ

の場合、先述の通り孤独が永遠に続く恐ろしさは説明するまでもないだろう。

つまり、無になるにしろ永遠の孤独に閉じ込められるにしろ、どちらにせよ人の死は絶望に直結している。

ここで書いたのは回路という一小説のエッセンスだが、恐ろしいことにこの恐怖は我々が現実に運命付けられている呪いと本質的には同じと言える。回路の世界だけでなく現実世界でも人は必ず死ぬ(少なくとも現代の科学力では)。原理上、生きている人は死後に何が起こるかを知り得ない。生きている人が死後の世界を主体的に体験できるなら、生死の定義上、その個体はまだ生きているはずだからだ(死後の世界を知り得ないとき、ある人の死後について確実に言えるのはその人はもう生きていないということである)。しかし、死後は知り得ないがその可能性を想像することはできる。宗教的な世界観も包含し、死後の可能性は本質的には次の 2 つの可能性に絞られる。

  1. 無(多くの無神論者はこう考えているだろう。自分もその一人だ)
  2. 意識が永遠に続く(様々な宗教でこのような世界観が見られる)

意識の発生について自分は詳しくないが、現代的(と言うか唯物論的?)に考えると、肉体(恐らく脳)が意識を生んでいると考えるのが自然だろう。この場合、肉体の死後は無が待っていると考えるのが自然だ。一方、宗教的な世界観では天国にしろ地獄にしろ、精神世界的な空間(?)で意識(魂)が何らかの形態で永遠に存続するという立場もよくある。唯物論的にはにわかには信じがたいが、今回はこれを否定することは目的ではないしその必要も無いのでこのような可能性も否定しないでおこう。上記 1, 2 以外の可能性も考えられるかも知れないが、基本的には 1, 2 どちらか、あるいはその複合のバリエーションに過ぎず、本質的には死後の世界は 1, 2 どちらかに収斂すると考えて良いだろう。ここから言えるのは、我々の死後には無か永遠が待っているということである。

そして気付いただろうか。回路で幽霊を目撃してしまった不幸な人の選択肢 1, 2 と、現実世界の我々が運命付けられている死後の可能性 1, 2 は本質的に一致している。つまり、回路的な死後の無か永遠という恐怖、呪いに我々は現実に運命付けられている。

もちろん、死後に天国に行き幸せな状態が永遠に続く可能性が絶対に無いことを示す確実な根拠は無い(悪魔の証明)。しかし科学的に天国を肯定する根拠ももちろん無いし、このような死後を期待するのはさすがに楽天的過ぎるように思える。ちなみにこの天国的な死後への希望こそが宗教の人気の大きな要因の 1 つだと思うが、本記事ではこれ以上立ち入らないでおこう。とにかく、天国がある根拠は非常に弱いし、仮に天国があっても「自分」の死後に天国に行く確率も非常に低いだろう。さらに悪いことに、天国で永遠に過ごすことが本当に幸福なことなのか分からないし、そもそもそのような永遠の幸福状態などというものが原理上あり得るのかも不確かだ。死後の永遠というものが天国にせよ地獄にせよ回路的な虚無で孤独な世界にせよ、永遠という状態そのものにある種のおぞましさや恐ろしさを認めることはできそうだ。

ホラー作品などで幽霊に遭遇することは怖いこととして描かれるし、現実の我々も幽霊を怖がる。しかし考えてみるとこれは不思議だ。幽霊が存在するなら我々の魂は死後も存続することになるので、死後の恐怖が和らぎそうなものである。つまり幽霊との遭遇は死の恐怖から開放してくれるものと考えても良さそうなものである。回路における幽霊との遭遇とは、このような死後の無や永遠という死についての恐ろしい真実を知ることを意味する。幽霊の目撃とは、死(が持つ恐ろしい真実)の目撃なのだ。幽霊とは何か?なぜ幽霊が怖いのか?という問いに対し、幽霊自体や幽霊との遭遇をここで述べたような意味に象徴させた点が回路という作品の秀逸さだ。

人は死後、無か永遠に至るよう運命付けられているという恐ろしい死の呪いを論じたところで、別の可能性に目を向けてみよう。それは「不死」だ。古来から人は不死を求めてきた。意識的にせよ無意識的にせよ、上記で論じたような死の恐ろしさから逃れるには永遠に生き続けるしかないと考えたに違いない。不死についての技術的実現可能性を論じるのは本記事の目的ではないので、思考実験として不死が実現可能と仮定しよう。

ところで、不死であれば必ず死ぬ人生よりも幸せなのだろうか?よく考えると不死というのは永遠に生きるということである。永遠に生きるのは死後に永遠に意識が存続するのと何が違うのだろうか?そもそも永遠に死なないならそれは生きていると言えるのだろうか?死んでいる、あるいは生まれていない状態と何が違うのだろうか?

唯一の希望は、愛や友情など他者との触れ合いかも知れない。死んでしまっては他者を愛し心を通わせられないかも知れないが生きていればそれができる。なるほどこれは生きることに対する明るい考えに見える。実際、映画『イット・フォローズ』(2014)3 などはこのような思想と近い部分があり、死(It)から完全に逃れることができなくても性愛が部分的にはその癒しとなるような描き方をしているし、少なくともそのように解釈することは十分に可能だろう。そして永遠に生きるならば死(幽霊や It)を完全に退け、他者と心を通わせ幸せに生き続けることができるかも知れない。実際、回路の終盤で老医師は次のように語る。

「私たちが研究していたのは不老不死、つまり永遠に生き続ける生命についてなんだ」

「うん。不死の生命を獲得すること、永遠の命を生きてみせること、私はそれしか奴らの鼻をあかす手段はないと思っている」

しかし本当にそうだろうか。上記に続いて老医師は次のように語っている。

老人はふっと憂鬱そうな表情を見せた。「私がひとつだけ心配していることがある。もし永遠の生命を持ったとして、それで人は本当に幸せなのだろうか、ということさ」

生きる我々は本当の意味で互いに心を通わせることなどできるのだろうか?生きていても結局我々は皆孤独に閉じ込められており、それは死後の幽霊が閉じ込められている永遠の孤独という牢獄と何が違うのだろうか?

「私ね、小さい頃からずっとひとりだったの。もちろん親も兄弟も、学校の友達だっていたけど、何だかみんなうわべだけのよそよそしい感じがして、私の目に入らないところでは彼らは存在してないんじゃないかって思えて仕方なかった。だから、私がいちばん安心して充実した時間を過ごせるのは、いつも夜寝る時布団の中。いつの頃からかな、そんな時、布団の中で考えるのは決まって、死ぬとどうなるんだろうってことだったの。おかしいでしょう」

「死んだらきっと別の世界に行って、そこで私はやっとひとりじゃなくなる。あっちの世界へ行けば仲間がいる、向こうでみんなが待っている。そう考えるのが本当に楽しくてわくわくしたくらい。だからよく、今はみんなよそよそしいけど、地震とか戦争とかで私も含めていっぺんにみんな死んだとしたら、その時こそやっと心が通じ合えるのかな、なんて想像してた」

「そうであってほしい、いや絶対そうだ、だから死にさえすれば楽になる、そう思うから今生きていることにも耐えられる、自殺してすぐ楽になるのもいいけど、まあもう少し生きてみよう、どうせいつかは甘美な死が救いにきてくれるんだから、私がとりあえず到達した結論はこれだったの」

「そうだよね。これって本当に子供っぽい浅知恵。何ておめでたい楽天家だったんだろうって今では思える」

「高校の時かな、はって気づいたの……もしも……死んでもひとりだったらどうする?」

「でも、死んだらみんなが待っていると思ったら大間違いかもしれないよね。死んでもたったひとりで、生きてる時と何も変わらなくて、しかもその状態は、今度は永遠に続く。この世にもし幽霊がいたとしたら、まさにこれのことよね?彼らは永遠の孤独の中にいて、行くところも帰るところも奪われた存在。それってものすごく怖い。怖くて怖くてたまらない。考えるだけで発狂しそうになる。でも私はいつか死ぬ、そのことだけは間違いがない。それは明日かもしれないし、今かもしれない」

「じゃあ教えて。生きてる人間と死んだ人間と、どこがどう違うの?幽霊になることは楽しいことなの?それとも辛いことなの?それは希望?それとも絶望?そもそも幽霊って何?死ぬってどういうことなの?」
「おかしいよ。変だよ。死んでどうなるかなんてわかるわけないじゃない。みんな幽霊幽霊って言うけどさ、俺はそんなの見たって信じないからね。信じなきゃそんなものはいないんだよ。地球が丸いとか、重力があるとか、そんなことだって信じなきゃないに等しいと俺は思うね。それは科学的じゃないって言うかもしれないけど、俺はそもそも科学なんてはなっから信じてないから。ただ俺は今こうやって生きてるし、春江もちゃんと生きてるし、それは間違いのない事実だろ?いつか必ず死ぬなんて俺は考えてないよ。だってそうじゃない、ひょっとしてあと何十年か経ってさ、絶対死なない薬とかが開発されたとしてさ、ないとは言えないだろ?そうしたら俺たちいつまでも生き続けられるんだよ。馬鹿馬鹿しいって言うかもしれないけど、本気だよ。俺はそっちに賭けるな」
「でもそしたら……」春江は急に自信をなくしたようだった。「永遠に生きることになるよ」
「ああ」
「それって、楽しいのかな」


  1. 黒沢清.“回路”.徳間書店.2003.ISBN4-19-891884-8.(小説版)

  2. Kiyoshi Kurosawa. Pulse. Japan: 2001. (movie)

  3. David Robert Mitchell. It Follows. United States: 2014.